2011年10月20日木曜日

FOMAプラスエリア

自分が使っているスマートフォンは、英国版のSIMフリーGalaxySです。
SIMは、b-mobileのU300を使っているのですが、ブルベでGalaxySを使っていて不可解な現象に困っていました。
千葉ブルベではお馴染みの、ミニストップ君津笹店。

鴨川有料道路を登った山の中にあるのですが、このコンビニがPCになることがよくあります。
到着報告のTweetをしようとして、スマートフォンを見ると、アンテナは3本しっかり立っているのです。
が、実際にTweetするとずっと送信中になってしまってできません。

元来が細かいことをあまり気にしない…というか、鈍い性格なので、b-mobileの回線だから、FOMAとはやはり若干違うのかな?程度に考えていました。

最近、U300は通信速度が遅いのが気になる上に、通信規制が厳しくなってきたので、回線の切り替えを検討していたのです。

そこで、docomoのSIMを手に入れれば、山の中のFOMAエリアでも使えるようになるのかな?
と調べてみました。

そこで初めて、FOMAには2100MHz帯と、エリアを拡大するための800MHz帯と2種類があることを知りました。
800MHzのエリアは特にFOMAプラスエリアと呼ばれていて、山の中などが多いようです。

つまり、ブルベでスマートフォンをまともに運用するには、FOMAプラスエリアが使えないと苦しいというわけです。

英国版のGalaxySはアウト。
2100MHzには対応していますが、800MHzがダメです。
つまりこの機種を使っている限りは山の中で調べごとをしたり、現状報告したりできないわけです。

う~ん。

ANT+に対応していて本当にサイコン代わりになるんじゃないか、と期待しているXperia activeですが、こちらも英国版を買ってしまうとアウトです。
米国はどうやら、通信帯として800MHzがあるらしいので、米国版を手に入れればFOMAプラスエリアに対応するようです。

ということで、海外でSIMフリーの端末を手に入れる時は、ちょっと気をつけようね、というお話しでした。
まあ、SoftbankのSIMで運用するなら問題ないのでしょうけど、決定的にエリアが狭いので、それはそれで余り幸せにはなれそうにない選択肢です。

2011年10月18日火曜日

PBP参戦記 etape15

etape14 ドルー~サンカンタン・イブリン(64.7km) トータル:1230km


さあ、最後の区間だと気負ってスタートしますが、痛いものは痛い…。
アキレス腱の痛みでペースは上がりません。

さらに日が落ちると、前夜にも増して冷え込みが厳しくなります。
普段ならペースを上げれば多少の寒さは吹き飛ぶのですが、痛みで負荷がかけられないので寒さが身に沁みます。

さらにはここ3日間の寝不足、超長距離サイクリングの疲れが襲ってきて眠くて仕方ありません。



日本のブルベなら、24時間営業のファミレスやマックに飛び込んで1、2時間仮眠するところですが、ここはフランス。

ずっと書いてきたように、点在する町以外には農地しかありません。
仮眠できるようなあずま屋も、風雨を遮るバス停も、コインランドリーも、精米所も、何もありません。




仕方がないので、とにかく走りきってしまおう、と先を急ぎます。

パリに近づくにつれて町が増えたり、丘がなだらかになったりを期待していたのですが、そんな事は全然ありません。
終いには、丘というよりは山の中といった風情の所も通ります。

ゴールまで10kmくらいの地点で少し交通量が多くなってきたかな?と思っていると、高速の跨線橋みたいな場所を通り、いきなり市街地に出ました。

綺麗に造成された新興住宅街です。
これまでの丘の上の町とは明らかに違った風景です。


すぐに線路沿いの道に出ました。
使い慣れたC線です。

すでに24時をまわってましたが、まだ電車が走っていました。

アキレス腱の痛みがなければ、パリまで帰れたかもな~、なんて思いながら、走っているとついに見覚えのあるサンカンタンの街中に入りました。




そして、ゆっくりとギヤンクールの体育館前のロータリーを回り、ついにゴール。
もう1時だというのに、体育館にはまばらとは言え人がいて、拍手で出迎えてくれました。
明るい時間にゴールした人の話によると、日中はもっと熱烈な歓迎だったとか。
仮眠してゴール時間を調整すべきだったかな?(笑

ブルベのゴールの時はいつもそうなのですが、特に大きな感慨もなくゴールして、受付へ。
(この辺は自分がおかしいのかな?)
受付でブルベカードを提出し、計測チップのゴムバンドを渡し、体育館から自転車を持ち出すための証明証を貰って、手続き終了。

体育館内を見渡すと、その辺りにごろごろと寝ている人たちがいます。
自分もどうやら体育館で寝るしかないかなと思っていると、日本の方がいらしたので暫く話しをしていました。
残念ながらその方はDNFで戻ってきたとのことでした。

体育館のひな壇に場所を確保して、サバイバルシートを被るとあまりの暖かさに瞬時に眠りに落ちてしまいました。
サバイバルシートはまさかの時のためにサドルバッグに入れていたもので、今回初めて使いました。

翌日の始発くらいの電車でパリに戻ろうと思っていたのですが、起きたのは9時前。
サバイバルシート凄いです。
あんなに寝心地のいいものだとは思いませんでした(笑

こうして自分のPBPへの挑戦は、完走で幕を下ろすことができました。
このブログではもう1回PBPをネタにして所感など書くつもりです。

長い長い記録になりましたが、お付き合いありがとうございました!

走行距離:1230km
走行時間:77時間21分

2011年10月14日金曜日

PBP参戦記 etape14

etape14 モルターニュ・オー・ペルシュ~ドルー(75.2km) トータル:1165km


モルターニュ・オー・ペルシュを出発したのが18時前だったように記憶しています。


最初の頃に書きましたが、フランスではこの時期、21時過ぎまでは明るいのです。
18時なんてまだまだ宵の口にもなっていません。


ヴィレンヌ・ラ・ジュエルから、この区間の2区間は農園地帯というよりは、森林地帯です。

最初のうちは針葉樹林だったのですが、パリに近づくにつれて森の様子が変わり、広葉樹林になります。



この区間は序盤の森林を抜けると、再び農園地帯に入ります。


パリに近づくにつれて、徐々に丘はなだらかになってきます。

広大に広がる農地の真ん中にぽつんとお城があったりしました。








痛みからあまりスピードは出ませんが、幸いにもこの区間は下り基調。
適当に集団の後ろについたりしながら走りました。
イタリアジャージの後ろについた時のこと、どうも後ろに付かれるのが嫌らしく、イタリア人コンビでダッシュで逃げられてしまいました。

残された自分とドイツ人らしき参加者は微妙な距離感…。
アキレス腱が痛いと付いていくのも苦労で離され気味でした。
が、どうもこの人ルートの確認が苦手らしく、交差点になるとこちらが追いついてしまいます。

そんなこんなで何となくお互いを利用しながら、ドルーの郊外まで来ると、イタリア人コンビニ追いついてしまいました…。
たぶん彼らも道が分からないのでしょう。

結局、なぜだか自分が先頭になってドルーの街中を走り、日暮れごろに映画館やスーパーがくっついた複合商業施設の一角に設けられたPCに到着しました。

チェックのためにふらっとコントロールになっている建物に入ると…
コントロールでチェックしているスタッフの歓待が熱烈です。
歓声と拍手に迎えられました。

ああ、ここまで来れば完走間違いなしってことなんだな…なんて思いながらゴール前の最後のスタンプを押してもらいました。
確かにここからは後65km。
よっぽどの事がない限り、完走できるでしょう。


ここのPCでは手作りのパンがたくさんあったので、クロワッサン?とアップルパイを食べました。

これがどうやら焼きたてだったらしく、凄く美味しかったです。
初めて本場フランスのパンを食べた!という気がしました。







ここで、このPCで寝ていくか、それともゴールを目指してナイトランするか選択を迫られます。

休みすぎて道が混雑するのも余り好ましくないし、何より最後の区間はさすがに都市部を走行します。


1200km走って来るとどうしても疲労から注意力も低下します。
交通量の少ない夜間にサンカンタンの街中を走り抜けてしまうのはなかなかいい考えに思えたので、ゴールを目指してナイトランすることにしました。

アキレスは痛みの進行は止まりはしたものの、腫れて熱を持った状態です。
早くゴールしてふかふかのベッドでゆっくり休みたい、という思考が支配的でした。

(つづく)

2011年10月13日木曜日

PBP参戦記 etape13

etape13 ヴィレンヌ・ラ・ジュエル~モルターニュ・オー・ペルシュ(81.2km) トータル:1090km


スタートして間もない信号待ちで、外人さんに声をかけられました。
何を言っているのかイマイチ聞き取れず、怪訝な顔をしていると、話しかけてきた人と一緒に走っている人が簡単な英語に訳してくれました。
「ハードか?」
そんなに辛そうな顔してたかな?


ここまではほぼ単独行だったのですが、アキレス腱の痛みでスピードが落ち抜かれることが多くなってきました。
斜度がきつい登りになると、痛くて踏み込めずついて行けないのですが、斜度が緩いところではなるべく人を利用することにします。

ヴィレンヌ・ラ・ジュエルを出るとしばらく森の中を走ります。
森の植生が針葉樹で、ブルターニュ地方というよりは、どちかというとノルマンディーの雰囲気でした。


森を抜けると、相変わらずの田舎道です。


うねうねと続く丘の上には秋の雲がぽっかり浮かんでいます。

気温は暑くもなく、寒くもなく。

道端の木陰にはヘルメットを日除けにして昼寝するランドナーたちがごろごろしていました。



昼寝の誘惑に耐えつつゆっくりと走りますが、アキレス腱の痛みは徐々に耐えがたくなってきました。
ペダリングしながらアキレス腱に触れてみると、腫れて熱を持っています。
これ以上悪化するようだとペダリングすらままならない状態になってしまうのは目に見えていました。

仕方なく自転車を降り、イチかバチか、クリートを左右入れ替えてみることにしました。
泥が詰まったクリートを四苦八苦しながら取り外し、足元の草むらにネジを落っことして冷や汗かきながら探したりして、何とか入れ替え完了。

ペダルにはめてみると、遊びが復活しました。
もっと前に入れ替えしていればここまで痛くなることもなかったのに…。
変に頑固に頑張ってしまうのは悪い癖です。



そんなこんなでだいぶ時間がかかりましたが、無事にモルターニュ・オー・ペルシュに到着。
往路では最初の補給地点だった場所です。

行きでは大混雑のためレストランで食事は見ただけで諦めましたが、帰りはガラガラ。

定番になってしまったパスタの魚ソースあえと、店で売っているようなケースに入ったプリンを食べました。



アキレス腱に爆弾を抱えてはいますが、あと140km。
だいぶ時間がかかってしまったので、深夜にゴールするか、もう1日仮眠して翌日明るい中ゴールするか悩みましたが、まだまだ明るいので、とりあえず次のPCまでは走ることにしてリスタートしました。

次のドルーは最後のPCです。

(つづく)

2011年10月11日火曜日

PBP参戦記 etape12

etape12 フージェール~ヴィレンヌ・ラ・ジュエル(88.1km) トータル:1009km



満腹のお腹をさすりながらスタートすると、体が重いのなんの…。
消化に血液が回ってしまったせいか、とにかく負荷が上がらない=スピードも上がりません。

スピードが上がらないと今度はこれまでふんだんに出ていた脳内麻薬の分泌量も少なくなるのか、体へのダメージも意識に上ってきます。

ずっと変にひっかけて漕いでいた左のアキレス腱が痛みます。


風景はのどかですが、アキレス腱は強く漕いだりすると、「アイタタ」と声が出るくらい酷い状態です。

何とか誤魔化して左足にはなるべく負荷をかけないようにペダリングしたり、アンクリングしてみたり、足首を固定してみたり…。

いろいろ試しながら走っていました。






足を休めるために少し興味深いものがあったら、自転車を降りてパチリ。

で、ちょっとストレッチしてリスタート。

なんてことを繰り返していました。









のどかな田園風景や、街頭の応援オブジェ、花が綺麗なカフェなどを楽しみながらも、アキレス腱だけは悲鳴を上げていました。









どうにかこうにか昼過ぎくらいにPC11のヴィレンヌ・ラ・ジュエルに到着。
行きではPC1だった場所です。
あと200kmちょっと。
ゴールは見えていますが、アキレス腱は痛い…。



このPCはもうゴールのようなお祭り騒ぎでした。
写真に見るようにゲートが設置され、町の人たちも大勢来ていて、参加者が到着するたびに盛大な拍手が起こります。

アナウンサーがマイクで何やら放送していて、レース会場のような熱気です。






足を引きずりながら、チェックを済ませ、あまり食欲がなかったのでここではまたサンドイッチを食べました。
ここまでで食べてしまった補給食も買い足し、拍手に送られながら次の区間へと出発しました。

(つづく)

2011年10月10日月曜日

PBP参戦記 etape11

etape11 タンテニアック~フージェール(53.6km) トータル:921km


冷え込みがきついので、体が冷えないうちにとタンテニアックのPCはチェックを済ませるとすぐに出発しました。
次のフージェールまでは50kmちょっとしかない短めの区間のため、補給食さえあれば辿り着けるだろうという目論見でした。

相変わらずの丘陵地帯をうねうねと抜けていると、徐々に空が白み始めます。
景色はフージェールに近づくにつれて中世にでもタイムスリップしたような錯覚をおぼえます。

木の柵に囲われた牧草地。
簡素な木造の掘っ立て小屋。

きっと1000年前からこんな風景なんだろうなぁ。

ちょうど明け方にフージェールの町に到着しました。

空は曇天。
気温は初冬のような寒さです。

PCに入るとここまでまあまあの負荷で走ってきたので汗が冷えて震えるほどの寒さでした。






ちょっと日が高くなって気温が上がるまで朝食でも食べて休憩することにしたのです。

が…




食べすぎました。



お腹がこなれるまで少し休むことにしたので、フージェールでは結構長く休憩しました。

食堂の机でいつの間にかうたた寝していたり…。






ようやく重い腰を上げて、リスタートを切ったものの、この先に大きな異変が待っていたのです。

(つづく)

2011年10月7日金曜日

PBP参戦記 etape10-2

etape10 ルデアック~タンテニアック(85.2km) トータル:867km

指定の3時の10分前にスタッフに肩を揺すられて、起床しました。
完全に見当識を失っていました。
こんなに気持ち良く寝てるのに、なんでこんな時間に起こされるのか?
なんでわけわからん外国語で起こされるのか?
という思いも枕元に置いたメットを見た瞬間に吹き飛びました。

寝ている人の邪魔にならないように音をなるべくたてず、荷物をまとめて食堂に移動します。


夜中の3時だというのにちゃんと食堂が機能しています。

ホントにブルベのスタッフには頭が下がります。
自分ができるかと言われると…。


ここまで来ればあと400kmありません。
ここまでのペースで考えれば今日のうちにゴールできます。





またもやハムサンドイッチを食べて、まだ真っ暗なコースに復帰しました。

それにしても寒い!

綺麗な月と星明り。天気は上々です。
それゆえか、気温はぐっと冷え込んでいます。

ウインドブレーカーを着込んでスタートし、ちょっと高めの負荷をかけて体を温めます。
左のクリートは相変わらず変な風にしかはまりませんが、この時点ではあまり気にしていませんでした。

夜道は、ライトのトラブルからあまりスピードが出せません。
この区間では、下りになると凄い勢いで抜いていくタンデム車がふた組ほどいました。
ひと組は男同士で、親子でしょうか?
前の人はそこそこ若く、後ろはおじいちゃんです。
このタンデム車には最初、登りでも抜かれました。
短くて緩い登りではありましたが、後ろのおじいちゃんが
「Hurry!Hurry!」
と掛け声をかけていました。

もうひと組は男女のカップルでした。
タンデム車はやはり重量があるので、登りは遅く、下りが速くなります。
下りで抜いていくときに、サドルの下にナンバープレートみたいなのがついていたので、何だろうと思っていたのです。
国名か、もしくは2人の名前でもついてるのかな~。
なんて思いながら、登りで追いついてプレートを読んでみると、
「Just Married!」
と書いてあります。

拙い英語で、
Congratulations」
なんてお祝いを言ってみたりしました。


新婚旅行がPBPなんてイカすじゃないですか!
いくら自分が自転車バカでもちょっとご免こうむりますが(笑


ケディヤックからタンテニアックまでは20km弱。

ケディヤックでグズグズして何時に出たのかは覚えていませんが、タンテニアック到着は5時前でした。
まだまだ真っ暗なので休憩もそこそこに出発しました。
目指すはフージェール。
行きではPC2だった場所です。

まだ400km弱あるのに、この辺りでもう完走した気になっていました。

もちろんそんな甘いものではありませんでした…。

(つづく)

2011年10月6日木曜日

PBP参戦記 etape10-1

etape10 ルデアック~タンテニアック(85.2km) トータル:867km



さて、PBP参戦記の再開です。
まだやってるのか、という声を聞こえてきそうですが、もう少しお付き合いくださいませ。

ルデアックを出ようとしてクリートをはめようとすると左のクリートが上手くはまりません。
フランスは右側通行なので本来右のクリートを外します。
しかし右足を捻るという動作に慣れていないことから、結局は日本で走っているときと同じように左足のクリートを先に外し、後ではめるようにしていました。

ペダルを踏みつけるようにしてはめると何とか固定されましたが、遊びがない感触です。
このブログを読んでいる人で知らない人はいないとは思いますが、クリートとはビンディングペダルと靴を接続するプラスチックの留め具のようなものです。
ビンディングペダルは、スキーのビンディングを想像してもらうと分かりやすいのですが、要はペダルと靴をくっつけてしまうのです。
スキーでは板と靴に遊びなどありませんが、自転車のペダルの場合は遊びのあるタイプとないタイプがあり、遊びがあるタイプでは靴を左右に動かす余裕(遊び)があります。

昔は遊びのないタイプを使っていたのですが、プロ並にポジション出しをやらない限りは遊びがないと長距離は辛いので、今では遊びのあるタイプです。

左足だけ遊びがない上にどうも真っ直ぐ漕げてないような気がして何回かはめ直したり、何か詰まっていやしないかと、ペダルにクリートを叩きつけてみたりしますが、結局改善しませんでした。
元来がいい加減な性格なのですぐに諦めて、まあいいかと先を急ぐことにしました。

しばらく走ると日も暮れてしまい、 3晩目を迎えます。
天候は回復し、月明かりの下、次のPCを目指します。


月明かりが綺麗だったので、夜空を写してみましたが、何の写真やら分かりませんね(笑











この日、ブレストからの帰路は好調で、自分を抜いて行く人は誰一人いない、後ろにつかれることもない、単独でとにかく誰彼かまわずパスして突き進みました。


好調のまま、シークレットポイントのケディヤックに到着しました。

ここでは何故か?ステッカーとボールペンを貰いました。

時刻はすでに22時。

眠さもあったのでここで仮眠することにしました。




仮眠所は行きのサン=ニコラ=デュ=ペルムと同じシステムです。



スタッフに起きたい時間を告げ、スタッフに指定された寝床に案内されます。

サン=ニコラ=デュ=ペルムでは、簡易ベッドでしたが、ここはマットレスを床に敷いたものでした。

ケディヤックの仮眠所は食堂と同じ建屋で、カーテンで間仕切りしてあるだけ。



食堂の明かりと雑音が漏れてきます。
今こそ耳栓の出番だ!とサドルバッグから耳栓のケースを取り出しますが…
中身がありません。

どうやらサン=ニコラ=デュ=ペルムで寝起きに寝ぼけてケースに仕舞わず落としてしまったようです。
仕方がないので毛布を頭から被ってどうにか音を誤魔化します。

疲れもあって大して音が気になることもなく、すぐに眠りにつくことができました。

(つづく)