2011年12月1日木曜日

トレーニングの話し

余りの体重増加に、真面目に三本ローラーに乗っていると、前のエントリで書きました。

今年はとにかく不調というか、気合の乗らない一年で、宇都宮ではブルベで初のタイムアップ&DNFまで経験しました。

PBPこそ完走したものの、夏の暑さにはやられっぱし、冬の寒さに出不精…。

今年はMt富士ヒルクライムもエントリを逃してしまったので、登りの公式記録がないのですが、正直エントリを逃して良かったと思ってます。
今年の調子で出たらブロンズ(1時間30分切り)すら危うい感じでした。

去年のMt富士ヒルクライムの時期の体重測定結果も残っていない、というかMt富士後に今の体重計を買ったので、正確には分からないのですが、
2010/6/17には体重64.8kg、体脂肪率10.1%だったのが、
いつの間にやら体重が乗り、
2011/10/30には体重71kg、体脂肪率15.3%と、不調も当たり前じゃ!というくらい増えてしまいました。

10/31から約一ヶ月、可能な日は三本ローラーに乗りましたが、前のエントリにも書いたとおり余り数字的には改善していませんorz

まあ、この一ヶ月はどちらかというとトレーニングすることに対するリハビリの意味合いが強く、これからが勝負です。


トレーニングを習慣付ける期間も終わり、三本ローラーに負荷装置をつけてのトレーニングを今週から開始しました。

帰宅後、ストレッチ->筋トレ(腹筋ローラー10回、負荷30kgのデッドリフト10回を4セット)->三本ローラー22km(現状、ケイデンス90、速度25km/hで心拍150bpm)
というメニューです。






体重を絞るのが目的なので、難しいことは考えず、とにかく一定のペースで回しています。
負荷装置は、まだ負荷が上げられるので、週に一段階ずつ上げていく予定です。
筋トレもどこかで5セットにしたいな。

 それから、ローラーを回していて思ったのが、ケイデンス。
ブルベをよく一緒に走るY氏は極端にケイデンスが低いタイプ。
自分は90回転くらいが普通なのですが、Y氏のお尻を眺めながら走っていると、無意識にペダリングが同調してしまっていたようです。

低いケイデンスでゴリゴリ回せば脚が売り切れるのも当たり前で、自分のペースを守らないといかんなと、今頃になって反省しています。
(というか、Y氏はあのケイデンスでなんであんな長距離をあんなスピードで走れるのか…)

なんて、トレーニングをサボっていた自分に対する自戒も込めて、こんなメモ書きを残しておこうと思ったのでした。



何とか、過去の自分を超えないとね。

2011年11月29日火曜日

奥武蔵練

間が開いてしまいました。
あまりの体重の増加に最近真面目に三本ローラーによる練習をやってまして…。
平日にBlogを書く時間があまり取れなかったのです。(言い訳)

10月の末くらいから、回せる日はほぼ毎日ローラーに乗っていて、最初は20kmも回せばヘロヘロだったのが、30kmくらいは平気で回せるようになってきました。

そんな矢先、Flecheを一緒に走ったメンバーから、奥武蔵に行かない?とお誘いがありました。
AJ埼玉の走行会で走ったルートらしいのですが、余りの辛さに押しが入ってしまったので是非リベンジしたいということで、お声がかかったようです。
自分はともかく、走行会に参加した知り合いは泣く子も黙るような走力の持ち主で、押しが入ったなんて仰天の出来事です。

ローラーの成果を試したいのと、怖いもの見たさも手伝って、11/27に行って参りました。


当日は7時に巾着田集合。
車載で向かうと、巾着田入り口のコンビニにFlecheのメンバーがもう到着しています。

車から降りて挨拶しますが…さ、寒い!

奥武蔵は海岸近くの千葉より一段冷え込むようです。

スタートしてちょっと登ると、見事な紅葉です。



まだ青い葉も残っていたので、今週末あたりもまだまだ見頃じゃないでしょうか?

と、序盤はまだまだ斜度も緩く、景色を楽しんでいたのですが…。
竹寺への登りあたりから本格的な登りが始まります。

大した距離ではないとは、言え毎日のようにローラーを漕いできたのだから、Flecheの時よりは走れるはず!
数字だってこんなに改善…。

ローラー前(10/31) 体重:71.00kg 体脂肪率:15.3%
奥武蔵練前(11/26) 体重:70.50kg 体脂肪率:14.2%

…誤差の範囲内やん!


と、まあ本格的な登りが始まると、他の3人にずるずると遅れるわけですが、確かにflecheのときよりは楽にはなっています。

やはり、少しずつでも毎日乗るべきなんですね。








結局、走行会の時に押してしまったという、子の権現の登りもヘロヘロと何とかクリア。
東秩父の小川町まで下ってきて、昼食をとりにカレー屋さんに寄りました。


ラジュモハンというインドカレー屋さんで、外にバイクラックが置いてありました。

お味はいかにもなインド風ではなくて、日本人好みにアレンジしたインド風カレーな感じでした。

まったり休憩しながら、計算すると日没までのゴールがかなり難しい状況であることが分かりました。




まさか夜走ることになるとは思っていなかった自分は、ライトを持っていません。
メンバーの1人も130km少々のコースにそんな時間がかかるとは思ってなかったらしく、17時には帰宅する予定です。

仕方がないので後半戦はまたの機会にということにして、小川町から巾着田までは平坦路を帰ることにしました。

走り応えのあるコースなので、また挑戦したいと思います。

今日の主題は、数字的な効果はあまりないけど実走していみればやっぱり効果があったので、めげずにローラー回そうね、ということなのでした。

2011年10月20日木曜日

FOMAプラスエリア

自分が使っているスマートフォンは、英国版のSIMフリーGalaxySです。
SIMは、b-mobileのU300を使っているのですが、ブルベでGalaxySを使っていて不可解な現象に困っていました。
千葉ブルベではお馴染みの、ミニストップ君津笹店。

鴨川有料道路を登った山の中にあるのですが、このコンビニがPCになることがよくあります。
到着報告のTweetをしようとして、スマートフォンを見ると、アンテナは3本しっかり立っているのです。
が、実際にTweetするとずっと送信中になってしまってできません。

元来が細かいことをあまり気にしない…というか、鈍い性格なので、b-mobileの回線だから、FOMAとはやはり若干違うのかな?程度に考えていました。

最近、U300は通信速度が遅いのが気になる上に、通信規制が厳しくなってきたので、回線の切り替えを検討していたのです。

そこで、docomoのSIMを手に入れれば、山の中のFOMAエリアでも使えるようになるのかな?
と調べてみました。

そこで初めて、FOMAには2100MHz帯と、エリアを拡大するための800MHz帯と2種類があることを知りました。
800MHzのエリアは特にFOMAプラスエリアと呼ばれていて、山の中などが多いようです。

つまり、ブルベでスマートフォンをまともに運用するには、FOMAプラスエリアが使えないと苦しいというわけです。

英国版のGalaxySはアウト。
2100MHzには対応していますが、800MHzがダメです。
つまりこの機種を使っている限りは山の中で調べごとをしたり、現状報告したりできないわけです。

う~ん。

ANT+に対応していて本当にサイコン代わりになるんじゃないか、と期待しているXperia activeですが、こちらも英国版を買ってしまうとアウトです。
米国はどうやら、通信帯として800MHzがあるらしいので、米国版を手に入れればFOMAプラスエリアに対応するようです。

ということで、海外でSIMフリーの端末を手に入れる時は、ちょっと気をつけようね、というお話しでした。
まあ、SoftbankのSIMで運用するなら問題ないのでしょうけど、決定的にエリアが狭いので、それはそれで余り幸せにはなれそうにない選択肢です。

2011年10月18日火曜日

PBP参戦記 etape15

etape14 ドルー~サンカンタン・イブリン(64.7km) トータル:1230km


さあ、最後の区間だと気負ってスタートしますが、痛いものは痛い…。
アキレス腱の痛みでペースは上がりません。

さらに日が落ちると、前夜にも増して冷え込みが厳しくなります。
普段ならペースを上げれば多少の寒さは吹き飛ぶのですが、痛みで負荷がかけられないので寒さが身に沁みます。

さらにはここ3日間の寝不足、超長距離サイクリングの疲れが襲ってきて眠くて仕方ありません。



日本のブルベなら、24時間営業のファミレスやマックに飛び込んで1、2時間仮眠するところですが、ここはフランス。

ずっと書いてきたように、点在する町以外には農地しかありません。
仮眠できるようなあずま屋も、風雨を遮るバス停も、コインランドリーも、精米所も、何もありません。




仕方がないので、とにかく走りきってしまおう、と先を急ぎます。

パリに近づくにつれて町が増えたり、丘がなだらかになったりを期待していたのですが、そんな事は全然ありません。
終いには、丘というよりは山の中といった風情の所も通ります。

ゴールまで10kmくらいの地点で少し交通量が多くなってきたかな?と思っていると、高速の跨線橋みたいな場所を通り、いきなり市街地に出ました。

綺麗に造成された新興住宅街です。
これまでの丘の上の町とは明らかに違った風景です。


すぐに線路沿いの道に出ました。
使い慣れたC線です。

すでに24時をまわってましたが、まだ電車が走っていました。

アキレス腱の痛みがなければ、パリまで帰れたかもな~、なんて思いながら、走っているとついに見覚えのあるサンカンタンの街中に入りました。




そして、ゆっくりとギヤンクールの体育館前のロータリーを回り、ついにゴール。
もう1時だというのに、体育館にはまばらとは言え人がいて、拍手で出迎えてくれました。
明るい時間にゴールした人の話によると、日中はもっと熱烈な歓迎だったとか。
仮眠してゴール時間を調整すべきだったかな?(笑

ブルベのゴールの時はいつもそうなのですが、特に大きな感慨もなくゴールして、受付へ。
(この辺は自分がおかしいのかな?)
受付でブルベカードを提出し、計測チップのゴムバンドを渡し、体育館から自転車を持ち出すための証明証を貰って、手続き終了。

体育館内を見渡すと、その辺りにごろごろと寝ている人たちがいます。
自分もどうやら体育館で寝るしかないかなと思っていると、日本の方がいらしたので暫く話しをしていました。
残念ながらその方はDNFで戻ってきたとのことでした。

体育館のひな壇に場所を確保して、サバイバルシートを被るとあまりの暖かさに瞬時に眠りに落ちてしまいました。
サバイバルシートはまさかの時のためにサドルバッグに入れていたもので、今回初めて使いました。

翌日の始発くらいの電車でパリに戻ろうと思っていたのですが、起きたのは9時前。
サバイバルシート凄いです。
あんなに寝心地のいいものだとは思いませんでした(笑

こうして自分のPBPへの挑戦は、完走で幕を下ろすことができました。
このブログではもう1回PBPをネタにして所感など書くつもりです。

長い長い記録になりましたが、お付き合いありがとうございました!

走行距離:1230km
走行時間:77時間21分

2011年10月14日金曜日

PBP参戦記 etape14

etape14 モルターニュ・オー・ペルシュ~ドルー(75.2km) トータル:1165km


モルターニュ・オー・ペルシュを出発したのが18時前だったように記憶しています。


最初の頃に書きましたが、フランスではこの時期、21時過ぎまでは明るいのです。
18時なんてまだまだ宵の口にもなっていません。


ヴィレンヌ・ラ・ジュエルから、この区間の2区間は農園地帯というよりは、森林地帯です。

最初のうちは針葉樹林だったのですが、パリに近づくにつれて森の様子が変わり、広葉樹林になります。



この区間は序盤の森林を抜けると、再び農園地帯に入ります。


パリに近づくにつれて、徐々に丘はなだらかになってきます。

広大に広がる農地の真ん中にぽつんとお城があったりしました。








痛みからあまりスピードは出ませんが、幸いにもこの区間は下り基調。
適当に集団の後ろについたりしながら走りました。
イタリアジャージの後ろについた時のこと、どうも後ろに付かれるのが嫌らしく、イタリア人コンビでダッシュで逃げられてしまいました。

残された自分とドイツ人らしき参加者は微妙な距離感…。
アキレス腱が痛いと付いていくのも苦労で離され気味でした。
が、どうもこの人ルートの確認が苦手らしく、交差点になるとこちらが追いついてしまいます。

そんなこんなで何となくお互いを利用しながら、ドルーの郊外まで来ると、イタリア人コンビニ追いついてしまいました…。
たぶん彼らも道が分からないのでしょう。

結局、なぜだか自分が先頭になってドルーの街中を走り、日暮れごろに映画館やスーパーがくっついた複合商業施設の一角に設けられたPCに到着しました。

チェックのためにふらっとコントロールになっている建物に入ると…
コントロールでチェックしているスタッフの歓待が熱烈です。
歓声と拍手に迎えられました。

ああ、ここまで来れば完走間違いなしってことなんだな…なんて思いながらゴール前の最後のスタンプを押してもらいました。
確かにここからは後65km。
よっぽどの事がない限り、完走できるでしょう。


ここのPCでは手作りのパンがたくさんあったので、クロワッサン?とアップルパイを食べました。

これがどうやら焼きたてだったらしく、凄く美味しかったです。
初めて本場フランスのパンを食べた!という気がしました。







ここで、このPCで寝ていくか、それともゴールを目指してナイトランするか選択を迫られます。

休みすぎて道が混雑するのも余り好ましくないし、何より最後の区間はさすがに都市部を走行します。


1200km走って来るとどうしても疲労から注意力も低下します。
交通量の少ない夜間にサンカンタンの街中を走り抜けてしまうのはなかなかいい考えに思えたので、ゴールを目指してナイトランすることにしました。

アキレスは痛みの進行は止まりはしたものの、腫れて熱を持った状態です。
早くゴールしてふかふかのベッドでゆっくり休みたい、という思考が支配的でした。

(つづく)

2011年10月13日木曜日

PBP参戦記 etape13

etape13 ヴィレンヌ・ラ・ジュエル~モルターニュ・オー・ペルシュ(81.2km) トータル:1090km


スタートして間もない信号待ちで、外人さんに声をかけられました。
何を言っているのかイマイチ聞き取れず、怪訝な顔をしていると、話しかけてきた人と一緒に走っている人が簡単な英語に訳してくれました。
「ハードか?」
そんなに辛そうな顔してたかな?


ここまではほぼ単独行だったのですが、アキレス腱の痛みでスピードが落ち抜かれることが多くなってきました。
斜度がきつい登りになると、痛くて踏み込めずついて行けないのですが、斜度が緩いところではなるべく人を利用することにします。

ヴィレンヌ・ラ・ジュエルを出るとしばらく森の中を走ります。
森の植生が針葉樹で、ブルターニュ地方というよりは、どちかというとノルマンディーの雰囲気でした。


森を抜けると、相変わらずの田舎道です。


うねうねと続く丘の上には秋の雲がぽっかり浮かんでいます。

気温は暑くもなく、寒くもなく。

道端の木陰にはヘルメットを日除けにして昼寝するランドナーたちがごろごろしていました。



昼寝の誘惑に耐えつつゆっくりと走りますが、アキレス腱の痛みは徐々に耐えがたくなってきました。
ペダリングしながらアキレス腱に触れてみると、腫れて熱を持っています。
これ以上悪化するようだとペダリングすらままならない状態になってしまうのは目に見えていました。

仕方なく自転車を降り、イチかバチか、クリートを左右入れ替えてみることにしました。
泥が詰まったクリートを四苦八苦しながら取り外し、足元の草むらにネジを落っことして冷や汗かきながら探したりして、何とか入れ替え完了。

ペダルにはめてみると、遊びが復活しました。
もっと前に入れ替えしていればここまで痛くなることもなかったのに…。
変に頑固に頑張ってしまうのは悪い癖です。



そんなこんなでだいぶ時間がかかりましたが、無事にモルターニュ・オー・ペルシュに到着。
往路では最初の補給地点だった場所です。

行きでは大混雑のためレストランで食事は見ただけで諦めましたが、帰りはガラガラ。

定番になってしまったパスタの魚ソースあえと、店で売っているようなケースに入ったプリンを食べました。



アキレス腱に爆弾を抱えてはいますが、あと140km。
だいぶ時間がかかってしまったので、深夜にゴールするか、もう1日仮眠して翌日明るい中ゴールするか悩みましたが、まだまだ明るいので、とりあえず次のPCまでは走ることにしてリスタートしました。

次のドルーは最後のPCです。

(つづく)

2011年10月11日火曜日

PBP参戦記 etape12

etape12 フージェール~ヴィレンヌ・ラ・ジュエル(88.1km) トータル:1009km



満腹のお腹をさすりながらスタートすると、体が重いのなんの…。
消化に血液が回ってしまったせいか、とにかく負荷が上がらない=スピードも上がりません。

スピードが上がらないと今度はこれまでふんだんに出ていた脳内麻薬の分泌量も少なくなるのか、体へのダメージも意識に上ってきます。

ずっと変にひっかけて漕いでいた左のアキレス腱が痛みます。


風景はのどかですが、アキレス腱は強く漕いだりすると、「アイタタ」と声が出るくらい酷い状態です。

何とか誤魔化して左足にはなるべく負荷をかけないようにペダリングしたり、アンクリングしてみたり、足首を固定してみたり…。

いろいろ試しながら走っていました。






足を休めるために少し興味深いものがあったら、自転車を降りてパチリ。

で、ちょっとストレッチしてリスタート。

なんてことを繰り返していました。









のどかな田園風景や、街頭の応援オブジェ、花が綺麗なカフェなどを楽しみながらも、アキレス腱だけは悲鳴を上げていました。









どうにかこうにか昼過ぎくらいにPC11のヴィレンヌ・ラ・ジュエルに到着。
行きではPC1だった場所です。
あと200kmちょっと。
ゴールは見えていますが、アキレス腱は痛い…。



このPCはもうゴールのようなお祭り騒ぎでした。
写真に見るようにゲートが設置され、町の人たちも大勢来ていて、参加者が到着するたびに盛大な拍手が起こります。

アナウンサーがマイクで何やら放送していて、レース会場のような熱気です。






足を引きずりながら、チェックを済ませ、あまり食欲がなかったのでここではまたサンドイッチを食べました。
ここまでで食べてしまった補給食も買い足し、拍手に送られながら次の区間へと出発しました。

(つづく)

2011年10月10日月曜日

PBP参戦記 etape11

etape11 タンテニアック~フージェール(53.6km) トータル:921km


冷え込みがきついので、体が冷えないうちにとタンテニアックのPCはチェックを済ませるとすぐに出発しました。
次のフージェールまでは50kmちょっとしかない短めの区間のため、補給食さえあれば辿り着けるだろうという目論見でした。

相変わらずの丘陵地帯をうねうねと抜けていると、徐々に空が白み始めます。
景色はフージェールに近づくにつれて中世にでもタイムスリップしたような錯覚をおぼえます。

木の柵に囲われた牧草地。
簡素な木造の掘っ立て小屋。

きっと1000年前からこんな風景なんだろうなぁ。

ちょうど明け方にフージェールの町に到着しました。

空は曇天。
気温は初冬のような寒さです。

PCに入るとここまでまあまあの負荷で走ってきたので汗が冷えて震えるほどの寒さでした。






ちょっと日が高くなって気温が上がるまで朝食でも食べて休憩することにしたのです。

が…




食べすぎました。



お腹がこなれるまで少し休むことにしたので、フージェールでは結構長く休憩しました。

食堂の机でいつの間にかうたた寝していたり…。






ようやく重い腰を上げて、リスタートを切ったものの、この先に大きな異変が待っていたのです。

(つづく)

2011年10月7日金曜日

PBP参戦記 etape10-2

etape10 ルデアック~タンテニアック(85.2km) トータル:867km

指定の3時の10分前にスタッフに肩を揺すられて、起床しました。
完全に見当識を失っていました。
こんなに気持ち良く寝てるのに、なんでこんな時間に起こされるのか?
なんでわけわからん外国語で起こされるのか?
という思いも枕元に置いたメットを見た瞬間に吹き飛びました。

寝ている人の邪魔にならないように音をなるべくたてず、荷物をまとめて食堂に移動します。


夜中の3時だというのにちゃんと食堂が機能しています。

ホントにブルベのスタッフには頭が下がります。
自分ができるかと言われると…。


ここまで来ればあと400kmありません。
ここまでのペースで考えれば今日のうちにゴールできます。





またもやハムサンドイッチを食べて、まだ真っ暗なコースに復帰しました。

それにしても寒い!

綺麗な月と星明り。天気は上々です。
それゆえか、気温はぐっと冷え込んでいます。

ウインドブレーカーを着込んでスタートし、ちょっと高めの負荷をかけて体を温めます。
左のクリートは相変わらず変な風にしかはまりませんが、この時点ではあまり気にしていませんでした。

夜道は、ライトのトラブルからあまりスピードが出せません。
この区間では、下りになると凄い勢いで抜いていくタンデム車がふた組ほどいました。
ひと組は男同士で、親子でしょうか?
前の人はそこそこ若く、後ろはおじいちゃんです。
このタンデム車には最初、登りでも抜かれました。
短くて緩い登りではありましたが、後ろのおじいちゃんが
「Hurry!Hurry!」
と掛け声をかけていました。

もうひと組は男女のカップルでした。
タンデム車はやはり重量があるので、登りは遅く、下りが速くなります。
下りで抜いていくときに、サドルの下にナンバープレートみたいなのがついていたので、何だろうと思っていたのです。
国名か、もしくは2人の名前でもついてるのかな~。
なんて思いながら、登りで追いついてプレートを読んでみると、
「Just Married!」
と書いてあります。

拙い英語で、
Congratulations」
なんてお祝いを言ってみたりしました。


新婚旅行がPBPなんてイカすじゃないですか!
いくら自分が自転車バカでもちょっとご免こうむりますが(笑


ケディヤックからタンテニアックまでは20km弱。

ケディヤックでグズグズして何時に出たのかは覚えていませんが、タンテニアック到着は5時前でした。
まだまだ真っ暗なので休憩もそこそこに出発しました。
目指すはフージェール。
行きではPC2だった場所です。

まだ400km弱あるのに、この辺りでもう完走した気になっていました。

もちろんそんな甘いものではありませんでした…。

(つづく)

2011年10月6日木曜日

PBP参戦記 etape10-1

etape10 ルデアック~タンテニアック(85.2km) トータル:867km



さて、PBP参戦記の再開です。
まだやってるのか、という声を聞こえてきそうですが、もう少しお付き合いくださいませ。

ルデアックを出ようとしてクリートをはめようとすると左のクリートが上手くはまりません。
フランスは右側通行なので本来右のクリートを外します。
しかし右足を捻るという動作に慣れていないことから、結局は日本で走っているときと同じように左足のクリートを先に外し、後ではめるようにしていました。

ペダルを踏みつけるようにしてはめると何とか固定されましたが、遊びがない感触です。
このブログを読んでいる人で知らない人はいないとは思いますが、クリートとはビンディングペダルと靴を接続するプラスチックの留め具のようなものです。
ビンディングペダルは、スキーのビンディングを想像してもらうと分かりやすいのですが、要はペダルと靴をくっつけてしまうのです。
スキーでは板と靴に遊びなどありませんが、自転車のペダルの場合は遊びのあるタイプとないタイプがあり、遊びがあるタイプでは靴を左右に動かす余裕(遊び)があります。

昔は遊びのないタイプを使っていたのですが、プロ並にポジション出しをやらない限りは遊びがないと長距離は辛いので、今では遊びのあるタイプです。

左足だけ遊びがない上にどうも真っ直ぐ漕げてないような気がして何回かはめ直したり、何か詰まっていやしないかと、ペダルにクリートを叩きつけてみたりしますが、結局改善しませんでした。
元来がいい加減な性格なのですぐに諦めて、まあいいかと先を急ぐことにしました。

しばらく走ると日も暮れてしまい、 3晩目を迎えます。
天候は回復し、月明かりの下、次のPCを目指します。


月明かりが綺麗だったので、夜空を写してみましたが、何の写真やら分かりませんね(笑











この日、ブレストからの帰路は好調で、自分を抜いて行く人は誰一人いない、後ろにつかれることもない、単独でとにかく誰彼かまわずパスして突き進みました。


好調のまま、シークレットポイントのケディヤックに到着しました。

ここでは何故か?ステッカーとボールペンを貰いました。

時刻はすでに22時。

眠さもあったのでここで仮眠することにしました。




仮眠所は行きのサン=ニコラ=デュ=ペルムと同じシステムです。



スタッフに起きたい時間を告げ、スタッフに指定された寝床に案内されます。

サン=ニコラ=デュ=ペルムでは、簡易ベッドでしたが、ここはマットレスを床に敷いたものでした。

ケディヤックの仮眠所は食堂と同じ建屋で、カーテンで間仕切りしてあるだけ。



食堂の明かりと雑音が漏れてきます。
今こそ耳栓の出番だ!とサドルバッグから耳栓のケースを取り出しますが…
中身がありません。

どうやらサン=ニコラ=デュ=ペルムで寝起きに寝ぼけてケースに仕舞わず落としてしまったようです。
仕方がないので毛布を頭から被ってどうにか音を誤魔化します。

疲れもあって大して音が気になることもなく、すぐに眠りにつくことができました。

(つづく)

2011年9月30日金曜日

fleche! その2


スタート地点には、LEGONの広島在住の方がわざわざ見送りに来てくださいました。
3年前には想像もできなかったですが、自転車を通じた仲間の輪が広がっていくのは楽しいものです。









予備校生でごった返すコンビニで買い物をして、13:10頃にスタート。
昔はレーパンのままでコンビニに入るなんてもっての他だったのに、予備校生に混じってでも平気になってしまいました(笑


まずは広島城を横目に見ながら、原爆ドームへ。
みんなぐるりと一周回って写真を撮っていました。

しめしめ、作戦成功です(笑







広島からは国道2号線で岩国に向かいます。
2号線は交通量が多い上に道幅が狭い箇所も多く、あまり走りやすい道ではありません。
この区間はずっと自分が前を行きます。


途中、宮島が見える場所でひと休み。
こちらから見る宮島は小さすぎて、長時間鑑賞するには堪えませんでした(笑










停まると汗が出る暑い日でしたが、やはりもう秋なのですね。
風は涼しいし、空も高い日でした。



PC1は岩国の錦帯橋のすぐ近く。
補給を済ませると錦帯橋見物です。

この辺りも予定通りでした。

観光作戦ナイスです。






岩国を出発すると、一時2号線に復帰しますが、すぐに国道187号線に入って今度は津和野を目指します。

交通量もぐっと減ります。

道は津和野に向けて傍示ヶ峠を越えるまでは登りなのですが、ここでこの4人チームの底力?が発揮されてしまいます。

先頭交替を繰り返しながら、登り基調の道をぐいぐい。
余りのスピードに疲れ果てて、峠への本格的な登りが始まる前の道の駅「にしき」で休憩にしました。
急ぐ必要なんてどこにもないのに…。

しばし休憩した後、峠に向けてスタートしますが、本格的な登りとなるとやはり自分がついて行けません。

津和野についた頃にはとっぷりと日も暮れていました。
日が暮れると、山の中にいるのも手伝って寒い!
寒さに震えながらPC2の手前にあった食堂に飛び込みました。

寒さからかみんなスペシャルのカレーうどんを頼んだのですが、うどんが品切れとのことで、2つはちゃんぽん麺になりました。
食べたメンバーは美味しいと言っていましたが…?

食堂のおやじさんにどこまで行くの?と聞かれて答えましたが、たぶん理解できなかっただろうな~(笑
まあとにかく夜通し走ることだけは分かってもらえたようでした。


津和野のPCでは余りの寒さにメンバーのひとりは女性用のストッキングを購入。
凍えるよりはマシということで…。
結構快適だったとか?

変な趣味に目覚めないことを祈っています(笑








津和野には太鼓谷稲荷という有名なお稲荷さんがあるのですが、到着したのがあいにく夜だったため、灯篭の灯がぽつぽつと見えているだけでした。


ここでの観光足止めは失敗でした…。

次のPCは萩ですが、その前にひとつ山を越えなければなりません。
ここで自分の脚は完全に売り切れ。
前を行く3人にまったくついていけなくなります。

ちょっと斜度がきつくなるたびにみんなを待たせつつ、ようやく萩への下りに入りました。
萩も有名な観光地ですが、真夜中のために全然立ち止まることもなく、スルー…。

萩を出るとまたまた登って今度は秋吉台へと向かいます。


秋吉台も、カルスト台地を縫うように走るので昼間に来ればなかなかの絶景です。
が、ここもあいにく夜…。
ここも猛スピードでスルーだろうなぁと思っていたら、ちょっと前に行ったはずのメンバーが止まっています。
カルスト台地の説明看板のために立ち止まったようですが…ここで空を見上げると、降り注ぐような星が見えました。

この日は月もなく、漆黒の星空に乳白色に煙った天の河が鑑賞できました。
自転車に乗りつつ星空を鑑賞できるのは、ブルベならではです。
だって、普通の人はそんな時間に自転車なんて乗らないものね。

秋吉台を下ったってしばらく行ったところの美祢で、仮眠休憩を取ることにしました。
事前に美祢の市街には24時間営業のファミレスがあることを調べてありました。
ただ、フレッシュでは2時間以上同じ場所で休憩することは許されていないので、1時間半程度寝てまだまだ暗くて寒いルートに復帰します。

次のPCの下関吉田に着くと、ついに空が白んできました。
秋分の日に24時間走るのだから、昼と夜の比率は半々のはずなのに、なんだか夜間走行のイメージの方が強いなぁ…。

このPCではちょっと長めに休憩して夜明けと同時くらいに再スタートしました。



やはりみんな寝が足りていないせいか、この辺りはスピードも上がりません。
最後の登りに向けてちょっと休もうということで、バス停の待合小屋で10分ほどうたた寝をしました。

朝日を浴びながらのうたた寝の気持ちいいこと。

しかし、このまま寝過ごしては去年の二の舞と、眠い体に鞭打って再スタートします。






しかしほどなく給水休憩に寄った自販機で地元の人たちと交流会(笑

自転車に興味津々でした。








次のPCまでの間に最後のでっかい登りが控えていますが、この登りは今回で一番斜度がある場所でした。夜通し走った体にはきつかったな~。

峠を越えて海沿いの人丸まで辿り着くと、後は海岸線沿いに下関まで走ればゴールです。


途中、角島大橋を鑑賞したりしながら、海岸線のうねうねとした道を走ります。












人丸から下関まではほぼ平坦かと思っていたら、全然そうではなく、ずっとアップダウンの繰り返しでした。
メンバーのうちのヤマさんはPBP完走者なのですが、「なんかPBPみたいなコースだったね」と言われてしまいました。
確かに峠に至る斜度のきついところを削ると後はPBPのようななだからかなアップダウンを繰り返すコースでした。

フレッシュでは最後の2時間に25km以上走ったことを証明しないといけないので、
22時間を少し越えたところのコンビニで買い物してレシートを受け取り、13時少し前にゴール地点に設定していた、下関の彦島に辿り着くことができました。

この後、輪行で神湊まで向かう旅が待ち受けていたのですが、その話しはまたの機会にしたいと思います。

その前にPBP参戦記を片付けなくちゃね。


2011年9月28日水曜日

fleche! その1

PBP参戦記の途中なのですが、flecheに参加してきましたので、その記録を差し込みたいと思います。

ブルベについては、このブログを始めるにあたって書いているので読んでくださっている方はだいたい分かっていると思います。

が、flecheについては、なにそれ?という方が多いと思いますので説明しておきます。
簡単に言ってしまうと、チームによるブルベです。
3~5人のチームで、主催者の設定したゴール(flecheではnice placeと呼ぶ)に向けて、チームが設定したコースを走るという変り種のブルベです。

去年も参加したのですが、規定の360kmは走りきったものの、ナイスプレイスに時間内に辿り着けず、あえなく認定を逃しました。
そんな去年の雪辱を果たすために、去年のメンバー4人のうち3人までが同じ顔ぶれ。
もうひとり、去年もしっかり完走しているところでさんを加えた4人チームで走ることになりました。

コースはなぜか自分が決めることに…。
このチームの問題は走力があり過ぎること(笑
自分が足を引っ張ることが目に見えているので、とにかく爆走を抑えるコースを考えようと、一計を案じました。

名づけて「観光地では写真を撮ったりしてきっと爆走しないよね、作戦」。
風光明媚な場所をコースにふんだんに盛り込むことで、写真ストップを多くしよう、そしてみんなが写真撮ってる間に、千切れた自分はトレインに復帰しようという、姑息な作戦です(笑

今年のナイスプレイスは福岡県宗像市、神湊。
チームの事情としては、みんななかなかに忙しいので前泊が前提になるスタート地点は無理。

当日新幹線で行ける場所がスタート地点としては最適と判断しました。
飛行機だと、もし乗り遅れたらその時点でひとりDNS確定ですが、新幹線なら次に飛び乗れば何とかリカバリ可能だという理由もありました。

そこで、スタート地点を広島に設定してコースを色々考えてみましたが、下関から北九州に渡るとどうしても混雑した道路を走らなければなりません。24時間近く走ってきて疲労困憊で混雑した道を走るのは事故などのリスクを高めるので、ゴールは下関に設定しました。

後は、距離を稼ぐために山口県内を行ったり来たり、前述のとおり観光地を沢山盛り込みます。
そしてできたコースがこれ。



・原爆ドーム
・宮島
・錦帯橋
・津和野
・萩
・秋吉台
・角島
と結構観光ポイントは盛り込んだつもりでした。

台風やらで指定席を取れなかった自分は始発で広島に向かいます。
何とか自由席を確保して、自転車もベストポジションの後部座席と壁の間に置くことができました。
それにしても三連休の初日だからか、自由席も激混みでした。

広島に着いて、twitterで他のメンバーの動向を見ているとみな無事に広島に向かっている模様。
ですが、メンバーの1人がヘルメットを忘れるハプニング!

13時スタートできるのか?と不安が頭をよぎりますが、到着してすぐにサイクルショップに駆け込みヘルメットを調達。
スタート地点に4人で並ぶことができました。

と長くなりそうなので、まずは走行前まで。
PBP参戦記もまだ書きかけなのに…。

気長にお付き合いくださいませ(笑

2011年9月22日木曜日

PBP参戦記 etape9

etape9 カルエクス~ルデアック(79.1km) トータル:782km



天気も徐々によくなり、帰路ということもあって、気分は上々でした。


往路では悪天候もあってなかなか写真が撮れなかったのですが、復路では余裕も出てきたおかげかちょっと立ち止まって一枚、なんてこともできました。

フランスでは街中でも綺麗な花の鉢植えを沢山飾っているお店や、花壇に花が咲き乱れている家をよく見かけました。






PBPで主に走るブルターニュという地方は、ケルトの文化を色濃く残しています。
今でも公用語のフランス語とは別にブルトン語という独自の言語を持っています。
写真の道路標識では上にフランス語での町名表記、下にブルトン語での町名が記載されています。








ケルト人とはカエサルのガリア戦記に出てくるガリア人と同じ民族です。
自分は、ガリア一帯に住んでいたケルト人がその後のゲルマン侵入にも耐えてこの地方に残ったのかと思っていましたが、どうやらブリテン島のケルト人がアングロ・サクソン人に圧迫されてブリテン島から海を渡ってブルターニュ半島に住み着いたようです。
(塩野七生「ローマ人の物語」による)

民族・風俗としては、パリを中心とするフランスよりも、ウェールズと同根なのだそうで。

まあ、そんな文化の違いが分かるほどフランス語に堪能でもないので、自分としてはこのブルターニュ地方の印象がイコールフランスのイメージになってしまったわけですが…。


天気も良くなってきたおかげか、道端の応援をよく見かけます。
自分も通り過ぎるときにはなるべく
「ぼんじゅーる」
と挨拶を返すようにしていました。
ちなみに、「Bonjour」の最後のrの発音はお馴染み?フランス語独特の例のrです。
”ぐ ”の口の形をしながら”う”と発音するといいらしいです。

しかし二日目ともなると、そろそろ「ぼんじゅーる」の発音練習にも飽きがきました。
ふと、別にフランス語じゃなくてもいいじゃないかと思いつき、せっかくフランスの人も日本人を応援しているのだから、エキゾチックな言語で返答された方が嬉しいに違いないと勝手に思い込んで
「こんにちは!」
と挨拶しながら走ることにしました。
 

と、脱線しまくりですが、この区間では途中、昨晩仮眠したサン=ニコラ=デュ=ペルムで昼食を取り、ルデアックに着いたのは既に19時を過ぎていました。

再びドロップバッグが使えるので、シャワーを浴びて着替えをし、またまたガレットを食べて、20時過ぎでしたが次を目指します。





当初予定のタンテニアックにはちょっと無理そうですが、ライトに問題を抱えていてなるべく明るい時間を有効に使いたいという気持ちもあり、途中にある補給&仮眠ポイントまでは行くことにしました。



この区間では、LEGONの新潟コミュの上ジャージとAJ千葉のビブを着て走ることにしました。

途中で上をAJ千葉ジャージに着替えゴールはAJ千葉ジャージの予定です。

ここまではそんなことを暢気に考えていられるほど余裕があったのでした…。








(つづく)

2011年9月21日水曜日

PBP参戦記 etape8

etape8 ブレスト~カルエクス(84.8km) トータル:703km





ブレストのコントロールを出ると、街中の複雑な道を走ります。

連続するロータリーや、どれを見ていいやら分からない信号、あげくの果てに街中は坂だらけ…。

そうこうしているうちに、道幅もあまり広くない登りで、後ろにバスがついてしまいました。

20km/h弱で登る後ろをバスもゆっくりついてきます。


バスの運ちゃんイライラしているだろうなぁ、なんて思いながら走っていると、目の前に×マークが。


国内のブルベではあり得ないのですが、PBPではルート上にコース指示の矢印看板がずっとあります。
写真は復路のパリ行きのもの。
往路のブレストは背景が黄色でした。

そして、ミスコースしやすそうなところには、×マークの看板が置いてあります。





あれ?コースは?と思ってきょろきょろしていると、後ろのバスがプップッ!とクラクションを鳴らしました。

あああ、ごめんなさいね、でも道が分からんのよ、と思ってバスの運ちゃんを振り返ると、バスの運ちゃんが左折方向を指差しています。
そちらを向くと、オレンジ色の看板が。
片手でありがとうと合図して、コースに復帰、事なきを得ました。

ブレストの街中はなかなかに複雑で、この後もGPSデータとコース指示の看板が食い違っていたりして、イギリス人らしき参加者と、看板があるからこっちだよね、とか言い合いながら何とか街中を抜けました。

街を出ると相変わらずの田園風景が広がります。
カルエクスまで戻るには、越えて来た山を登り返さないといけませんが、ブレスト側からの登りはさして苦労することもなくクリア。
事前の難易度計算ではこの区間が一番の難所かと思われましたが、逆にスピードも上がって、いいペースでカルエクスまで戻って来ることができました。

朝方にはしょぼついていた天気も曇天ながら何とか持ち直し、自転車で走るにはちょうど良い感じでした。


この日はできればタンテニアックくらいまで帰りたいところ、余り時間もかけずコントロールを出て、次のコントロールのルデアックを目指します。

(つづく)

2011年9月19日月曜日

PBP参戦記 etape7

etape7 カルエクス~ブレスト(92.9km) トータル:618km



お腹も満たして、さあリスタートと思ったらお腹に異変です。
異変と言っても単にトイレに行きたくなっただけですが(笑
岩本さんやinaさんには先に行ってもらうことにして、トイレに駆け込みました。

ちょっとシモな話になったので、ついでにあまり知られざるPBPの話をば。


写真のような感じで、道沿いはずっとちょっとした土手になっていて、その向こうに農地が広がっています。

たまにこの土手の切れ目があって、農地に入れるようになっているのですが、 そこに自転車が倒して置いてある場合があります。

その場合はつまり「使用中」ということのようです。




休むなら自転車も持って入って休めばいいのに…なんて思ってたのですが、トイレ中に入って来られては困るということだったようです。

約80kmくらい、3~4時間で次のPCに辿り着けるのだから、我慢できないものかね?とも思いましたが、これが結構頻繁に出くわす光景でした。
中には、腰にぶら下げるペットボトルホルダに、 トイレットペーパーを入れて走ってる人なんかもいました。
軽いカルチャーショックを受けたのは言うまでもありません。
自分はこの大自然のトイレは使用しませんでしたが(笑

話が横道に逸れました。

まだ暗いうちにPCを出ます。
この区間にはPBP最大の山が控えているので、マイペースを心がけて走ります。

登り始めた頃に夜が明けますが、霧が視界をさえぎります。
この頃になると、相当の台数の折り返した人たちが対向車線を走っています。

霧の向こう、ちょっと高い位置にライトの明かりが見え、霧から自転車の一団が姿を現してすれ違う…そんなことをずっと繰り返します。
それほどの斜度ではありませんが、ずっと上り坂。
暑くなってこの区間でウィンドブレーカーを脱ぎ、サドルバッグにしまいました。

霧と時折ぱらつく小雨がジャージをしっとりと濡らします。



長い登りをクリアすると、今度は豪快な下りが待っていました。

霧も少し薄くなります。









下り切ってからしばらく走っていると、ウワンさん発見。
ちょっとお話ししますが、スポークが折れたりして大変だったようです。
どちらもマイペースを維持したいため、それ以上はご一緒せず、自分が先行しました。



そして、小雨のパラつく中、ついに折り返しのブレストに到着。

ブレストは、港湾に面して要塞がある軍港都市です。


コントロールは海軍基地とのことでした。





コントロールへの登り口は城壁になっていて見ごたえがありましたが、写真を撮るのを失念してしまいました。残念…。

ブレストの要塞を整備したのは、ルイ16世。日本ではフランス革命を起こしてしまった国王としてしか名前が知られておらず、惰弱なイメージの人物です。
が、啓蒙的な思想の持ち主だったうえに技術に明るく、特にイギリスに押されっぱなしの海軍のてこ入れをするなど、君主としての力量もなかなかのものだったようです。


ブレストはPBPのコース上ではかなり大きな都市で、久しぶりに信号なども現れました(笑

折り返しだと思うと自然脚も回りはじめます。
同じくコントロールへ向かう集団を抜かすと、
「アタックかい?」
とか言われたりして、みな一様に気分が高揚していたようです。





というのも、ブルベでは600kmまでは制限時間が15km/hのアベレージで決められているのですが、600kmを越えると、後は12km/hに下がります。

600kmを越えると大幅に楽になるので、ここまで来れば、という思いは誰しも持っていたでしょう。


コントロールでの食事は相変わらずハムサンドイッチ。
自分でもよくも飽きないものです(笑










次の区間はここに来るまでにパスした長い登りを逆から登り返さないといけません。
この辺りでは気力も充実し、登りに対して不安も何もありませんでした。

(つづく)

2011年9月15日木曜日

PBP参戦記 etape6-2

etape6 ルデアック~カルエクス(76.1km) トータル:525km

気持ちよく寝ていたら、スタッフに体を揺らされて起床。
ほぼ一昼夜不眠で走ってきた体に睡眠時間がこれで足りるわけもなく、ぼ~っとしながら出発準備をします。


そういえば、体育館の屋根を叩く雨音が消えている…。
外に出てみると、地面は濡れているけれど雨は上がっていました。
仮眠のタイミングが凄くラッキーでした。

それにしても…寒い!






フランスは北海道と同じくらいの緯度。
大西洋の暖流のおかげで温暖な気候ではありますが、ブルターニュ半島の先っぽで夜中の3時ともなるとやはり寒かったです。

サドルバッグからウインドブレーカーを出して羽織り、岩本さんと一緒にスタート。
カルエクスまでは30kmちょい。
順調に走れば1時間半もあれば到着します。

朝食はカルエクスでと、すきっ腹は補給食で誤魔化します。

スタートしてすぐに岩本さんは路肩に停車。
トイレかな?

しばらく1人旅かな~、なんて思っていると暗がりから日本語が…。

どうやら前を行く2人組みは日本人のようです。
1人はパナチタン。
お、inaさんだ~。

声をかけて、ここからはinaさんと連れの方と3人で走ります。

ブルベの話しやら、inaさんが最近導入した太陽光発電の話しやら…とにかく道中しゃべりまくってました。
「やっぱり道連れがいると楽だな~」
とinaさんも仰ってましたが、自分も同感です。
スピードは落ちてしまいますが、距離はいつの間にか稼げてます。

ふと後ろを見ると、外人さんも2,3人後ろをついてきています。
全然理解できない言葉とはいえ、前で大声でしゃべったり笑ってたりすると、眠気対策になるのかな?

自分としてはとにかくこの眠そうな区間をおしゃべりで乗り切れたのは大きかったです。


道のりの順調にこなして、まだまだ暗いうちにPCのカルエクスに到着。

自転車を停めていると、すぐに岩本さんも到着。
4人で朝食にしました。

内容は昨日の夜とほとんど変わりませんが…。






お腹も満たして、次のPCはいよいよ折り返し地点のブレストです。


(つづく)

2011年9月14日水曜日

PBP参戦記 etape6-1

etape6 ルデアック~カルエクス(76.1km) トータル:525km
etape6は事情があって2部構成です。



前回、ルデアックでの食事を紹介するのを忘れていました。


ガレットです。
ブルターニュ地方の郷土料理で、クレープのもとになったものです。

クレープは日本でもおなじみですが、ガレットはそば粉のクレープと言えばイメージがつきやすいでしょうか?

ハムサンドイッチばかり食べてきましたが、ルデアックで売店に並ぶと、ガレットがあったのですかさずオーダーしてみました。



スパイスの効いたでっかいソーセージをそば粉のクレープで包んだだけの簡単なものですが、なかなか美味しかったです。
まあ、ファーストフードの類ではありますが。


走り始めると、腰から右の股関節に至る痛みがすぐに再発します。

この区間ではお尻の痛さも出てきて、時々、路肩に寄せてストレッチするなど、誤魔化しながら走行していました。







ルデアックで締めなおしたライトマウントはしばらくは大丈夫でしたが、また次第に緩み始め、ぐらぐらと揺れます。
ああ、これはダメだ、と思った矢先についにライトマウントの根元が破断してしまいました。

またまた路肩に止まってどうにかライトを上手くマウントできないものかと思案した結果…


行き着いたのがこれ。
PCでしか使っていないスマートフォンを外し、その台座にタイラップで止めたうえに、輪ゴムで固定しました。

とりあえず、これで路面を照らせるようにはなりましたが、照射角が出ず、下向きになってしまっています。

仕方ないので、予備のL2Dを使って補完し、なんとか夜間走行に耐えることができました。


帰国してから試行錯誤し、ライトマウントについても大丈夫だろう、という方法を見つけましたが、やはり本番前の装備変更はリスキーですね。

何とかライト問題を解決し、ほっとひと息ついて走行を再開すると、今度は睡魔が襲ってきました。

ここまで450km以上、寝ずに走って来ているのですから、無理もありません。
お尻と股関節の痛みもあり、ひと息つく誘惑に勝てず、路肩に止まって今度は居眠り。
寝過ごさないように、他の参加者が通るたびに風きり音が聞こえる程度しか離れていない場所に腰かけ、うたた寝します。

ここでどれくらい休んだかは分かりませんが、記録から見るとたった44kmに4時間以上かかっています。
へろへろな状態で、サン=ニコラ=デュ=ペルムに到着。
次のPCはまだ先ですが、補給および仮眠ポイントです。

ここでも可愛い女の子が飛んできて、ここはコントロールではないこと、ブレスト方面への通過ならあっちへ行け、と英語で説明してくれました。
時刻はすでに22時前。
ここで仮眠したいと伝えると、案内の女の子が体育館を指して、ここで仮眠でき、隣のテントがレストランだと教えてくれました。
感謝して、自転車を止めレストランに向かおうとすると、駐輪所にAJ福岡代表の岩本さんが入って来ました。
岩本さんもここで仮眠するらしいので、食事もご一緒させていただきました。



PBPの公設レストランで饗される食事はフジッリ(パスタ)か長粒種のライスに、鳥か魚をスープで和えたものをかけたものです。

あるものを適当に取って、精算所で計算してお支払いという学食や社食みたいな形式です。

岩本さんは4年前、胃を壊して1000kmを越えたあとにリタイアという経験をお持ちです。




前回、米が消化できなくて、なんて話しをしながらだったので、自分ももちろんパスタを選択しました。
パスタは作り置きでしたが、魚のソースがあたりでした。
なかなか美味しかった。

テントで食事をしていると、雨粒が屋根を叩く音が聞こえてきました。
外を見るとかなり激しい雨が降っています。

腹を満たしたら体育館に移動して寝床の確保ですが、これが30分くらい待たされてしまいました。
雨が降り始めたことと、結構いい時間だったので、みんな仮眠所に殺到したようで、スタッフが捌ききれなくなってしまったようです。

フレームナンバーと何時に起きたいかを申告し、支払いを済ますと、スタッフが簡易ベッドに案内してくれます。
旅は道連れということで、岩本さんと同じ3時起床を申告しました。
22:30過ぎに体育館に入れたので、4時間以上の仮眠です。
ブルベで4時間も寝れれば上等です。

ここの体育館は仮眠専用になっていて、快適でした。
一応用意してきたアイマスクと耳栓をしましたが、そんなものは必要なかったと思います。


体育館の屋根を激しく叩く雨音を子守唄に、すぐに眠りに落ちたのでした。


(つづく)

PBP参戦記 etape5

etape5 タンテニアック~ルデアック(85.2km) トータル:449km



タンテニアックを出たのは昼過ぎでした。



景色は相変わらずフランスの片田舎です。
小雨に霞む丘陵に教会の尖塔が見えて来たら、たぶんそこは次の町。

時折、少し強くなる雨も気にせず、淡々と先を急ぎます。









道端には、ときおりPBP応援の横断幕があったりします。











ある町にたどりつくと、そこはシークレットポイントになっていました。
390km地点、ケディアック。
シークレットポイントに入ると、初老のスタッフが話しかけてきます。
「○▲■※…」
あああ、いい耳が欲しい。
おじさんも通じないことが分かったのでしょう。
「アングレ?」
「うぃ」
と答えると、若い女の子が飛んできて、英語で説明を始めます。
ここはシークレットポイントで云々、チェックはこっちで、レストランはこっち、寝たければ仮眠所もある等々…。


案内にお礼を言って、チェックを済ませて、ここでもハムサンドイッチ。
ブルベに食事を期待しているわけではないので、一向に飽きません。

日本でのブルベではコンビニで濃い弁当を食べて胃もたれを起こすことがありますが、ハムサンドイッチではそんな危険もありません。





コンビニでもサンドイッチジャンボン置いてくれないかな。
売れないか(笑


綺麗な教会にも応援の横断幕が。
400km地点ではスタートから19:30くらい。

少しペースが落ちてきました。

と言うのも、多少腰に痛みがあり、それが右脚に影響して、腰から股関節、右の太ももあたりに痛みが出てきてしまったためです。





今年になって、おととしの1000kmから使っていたサドルを別のものに代えたのですが、これがいまいちフィットしないのか、去年よりサドルポジションを高くしたのがいけないのか…。
綺麗な教会の写真を撮っているのも、ただ綺麗だから撮ったわけではなく、止まって少しストレッチしたついでなのでした。


ついでに、シークレットのケディアックを出てから、ライトの振動がいよいよ目立ってきました。
目で見ても明らかに路面の振動でフラフラと揺れています。

携帯ツールを出せばマウンタを締め付けているネジを締めなおせるのですが、ルデアックまで行けば、アーレンキーセットがドロップバックに入っていたはず、とPC到着を優先します。

ルデアックには、17:30頃到着しました。


 大きなPCですが、コントロールの出口の扉に、
「日本のドロップバッグは、駐輪スペースの右側」
と張り紙がしてありました。

おかげさまで、迷わずドロップバッグをGET。

まずはバッグを持って自転車が置いてある場所に戻ります。

アーレンキーを探しますが…ない。



仕方なしに、結局サドルバッグから携帯ツールを出して、ライトマウンタ基部のネジを締めなおします。
試しに自転車を揺らしてみますが、その時点では大丈夫そうでした。

とか、やっていると、大粒の雨が…ついに本格的に降り始めました。
どちらにしろここでシャワーを浴びて着替えるつもりだったので、焦らずシャワーへ。
2ユーロ(だったかな?)を払うと、小さい石鹸と紙タオルを渡され、大部屋にいくつもシャワーが並んでいる軍隊式のシャワールームでシャワーを浴びます。

ホテルなみのシャワーなど期待してない自分にとってはこれで充分。
さっぱりしてドロップバッグに入れていたESTジャージに着替え、外に出てみると、雨が止んでいました。

まだまだ明るいので、次のPCを目指すことにします。

(つづく)