2011年9月30日金曜日

fleche! その2


スタート地点には、LEGONの広島在住の方がわざわざ見送りに来てくださいました。
3年前には想像もできなかったですが、自転車を通じた仲間の輪が広がっていくのは楽しいものです。









予備校生でごった返すコンビニで買い物をして、13:10頃にスタート。
昔はレーパンのままでコンビニに入るなんてもっての他だったのに、予備校生に混じってでも平気になってしまいました(笑


まずは広島城を横目に見ながら、原爆ドームへ。
みんなぐるりと一周回って写真を撮っていました。

しめしめ、作戦成功です(笑







広島からは国道2号線で岩国に向かいます。
2号線は交通量が多い上に道幅が狭い箇所も多く、あまり走りやすい道ではありません。
この区間はずっと自分が前を行きます。


途中、宮島が見える場所でひと休み。
こちらから見る宮島は小さすぎて、長時間鑑賞するには堪えませんでした(笑










停まると汗が出る暑い日でしたが、やはりもう秋なのですね。
風は涼しいし、空も高い日でした。



PC1は岩国の錦帯橋のすぐ近く。
補給を済ませると錦帯橋見物です。

この辺りも予定通りでした。

観光作戦ナイスです。






岩国を出発すると、一時2号線に復帰しますが、すぐに国道187号線に入って今度は津和野を目指します。

交通量もぐっと減ります。

道は津和野に向けて傍示ヶ峠を越えるまでは登りなのですが、ここでこの4人チームの底力?が発揮されてしまいます。

先頭交替を繰り返しながら、登り基調の道をぐいぐい。
余りのスピードに疲れ果てて、峠への本格的な登りが始まる前の道の駅「にしき」で休憩にしました。
急ぐ必要なんてどこにもないのに…。

しばし休憩した後、峠に向けてスタートしますが、本格的な登りとなるとやはり自分がついて行けません。

津和野についた頃にはとっぷりと日も暮れていました。
日が暮れると、山の中にいるのも手伝って寒い!
寒さに震えながらPC2の手前にあった食堂に飛び込みました。

寒さからかみんなスペシャルのカレーうどんを頼んだのですが、うどんが品切れとのことで、2つはちゃんぽん麺になりました。
食べたメンバーは美味しいと言っていましたが…?

食堂のおやじさんにどこまで行くの?と聞かれて答えましたが、たぶん理解できなかっただろうな~(笑
まあとにかく夜通し走ることだけは分かってもらえたようでした。


津和野のPCでは余りの寒さにメンバーのひとりは女性用のストッキングを購入。
凍えるよりはマシということで…。
結構快適だったとか?

変な趣味に目覚めないことを祈っています(笑








津和野には太鼓谷稲荷という有名なお稲荷さんがあるのですが、到着したのがあいにく夜だったため、灯篭の灯がぽつぽつと見えているだけでした。


ここでの観光足止めは失敗でした…。

次のPCは萩ですが、その前にひとつ山を越えなければなりません。
ここで自分の脚は完全に売り切れ。
前を行く3人にまったくついていけなくなります。

ちょっと斜度がきつくなるたびにみんなを待たせつつ、ようやく萩への下りに入りました。
萩も有名な観光地ですが、真夜中のために全然立ち止まることもなく、スルー…。

萩を出るとまたまた登って今度は秋吉台へと向かいます。


秋吉台も、カルスト台地を縫うように走るので昼間に来ればなかなかの絶景です。
が、ここもあいにく夜…。
ここも猛スピードでスルーだろうなぁと思っていたら、ちょっと前に行ったはずのメンバーが止まっています。
カルスト台地の説明看板のために立ち止まったようですが…ここで空を見上げると、降り注ぐような星が見えました。

この日は月もなく、漆黒の星空に乳白色に煙った天の河が鑑賞できました。
自転車に乗りつつ星空を鑑賞できるのは、ブルベならではです。
だって、普通の人はそんな時間に自転車なんて乗らないものね。

秋吉台を下ったってしばらく行ったところの美祢で、仮眠休憩を取ることにしました。
事前に美祢の市街には24時間営業のファミレスがあることを調べてありました。
ただ、フレッシュでは2時間以上同じ場所で休憩することは許されていないので、1時間半程度寝てまだまだ暗くて寒いルートに復帰します。

次のPCの下関吉田に着くと、ついに空が白んできました。
秋分の日に24時間走るのだから、昼と夜の比率は半々のはずなのに、なんだか夜間走行のイメージの方が強いなぁ…。

このPCではちょっと長めに休憩して夜明けと同時くらいに再スタートしました。



やはりみんな寝が足りていないせいか、この辺りはスピードも上がりません。
最後の登りに向けてちょっと休もうということで、バス停の待合小屋で10分ほどうたた寝をしました。

朝日を浴びながらのうたた寝の気持ちいいこと。

しかし、このまま寝過ごしては去年の二の舞と、眠い体に鞭打って再スタートします。






しかしほどなく給水休憩に寄った自販機で地元の人たちと交流会(笑

自転車に興味津々でした。








次のPCまでの間に最後のでっかい登りが控えていますが、この登りは今回で一番斜度がある場所でした。夜通し走った体にはきつかったな~。

峠を越えて海沿いの人丸まで辿り着くと、後は海岸線沿いに下関まで走ればゴールです。


途中、角島大橋を鑑賞したりしながら、海岸線のうねうねとした道を走ります。












人丸から下関まではほぼ平坦かと思っていたら、全然そうではなく、ずっとアップダウンの繰り返しでした。
メンバーのうちのヤマさんはPBP完走者なのですが、「なんかPBPみたいなコースだったね」と言われてしまいました。
確かに峠に至る斜度のきついところを削ると後はPBPのようななだからかなアップダウンを繰り返すコースでした。

フレッシュでは最後の2時間に25km以上走ったことを証明しないといけないので、
22時間を少し越えたところのコンビニで買い物してレシートを受け取り、13時少し前にゴール地点に設定していた、下関の彦島に辿り着くことができました。

この後、輪行で神湊まで向かう旅が待ち受けていたのですが、その話しはまたの機会にしたいと思います。

その前にPBP参戦記を片付けなくちゃね。


2011年9月28日水曜日

fleche! その1

PBP参戦記の途中なのですが、flecheに参加してきましたので、その記録を差し込みたいと思います。

ブルベについては、このブログを始めるにあたって書いているので読んでくださっている方はだいたい分かっていると思います。

が、flecheについては、なにそれ?という方が多いと思いますので説明しておきます。
簡単に言ってしまうと、チームによるブルベです。
3~5人のチームで、主催者の設定したゴール(flecheではnice placeと呼ぶ)に向けて、チームが設定したコースを走るという変り種のブルベです。

去年も参加したのですが、規定の360kmは走りきったものの、ナイスプレイスに時間内に辿り着けず、あえなく認定を逃しました。
そんな去年の雪辱を果たすために、去年のメンバー4人のうち3人までが同じ顔ぶれ。
もうひとり、去年もしっかり完走しているところでさんを加えた4人チームで走ることになりました。

コースはなぜか自分が決めることに…。
このチームの問題は走力があり過ぎること(笑
自分が足を引っ張ることが目に見えているので、とにかく爆走を抑えるコースを考えようと、一計を案じました。

名づけて「観光地では写真を撮ったりしてきっと爆走しないよね、作戦」。
風光明媚な場所をコースにふんだんに盛り込むことで、写真ストップを多くしよう、そしてみんなが写真撮ってる間に、千切れた自分はトレインに復帰しようという、姑息な作戦です(笑

今年のナイスプレイスは福岡県宗像市、神湊。
チームの事情としては、みんななかなかに忙しいので前泊が前提になるスタート地点は無理。

当日新幹線で行ける場所がスタート地点としては最適と判断しました。
飛行機だと、もし乗り遅れたらその時点でひとりDNS確定ですが、新幹線なら次に飛び乗れば何とかリカバリ可能だという理由もありました。

そこで、スタート地点を広島に設定してコースを色々考えてみましたが、下関から北九州に渡るとどうしても混雑した道路を走らなければなりません。24時間近く走ってきて疲労困憊で混雑した道を走るのは事故などのリスクを高めるので、ゴールは下関に設定しました。

後は、距離を稼ぐために山口県内を行ったり来たり、前述のとおり観光地を沢山盛り込みます。
そしてできたコースがこれ。



・原爆ドーム
・宮島
・錦帯橋
・津和野
・萩
・秋吉台
・角島
と結構観光ポイントは盛り込んだつもりでした。

台風やらで指定席を取れなかった自分は始発で広島に向かいます。
何とか自由席を確保して、自転車もベストポジションの後部座席と壁の間に置くことができました。
それにしても三連休の初日だからか、自由席も激混みでした。

広島に着いて、twitterで他のメンバーの動向を見ているとみな無事に広島に向かっている模様。
ですが、メンバーの1人がヘルメットを忘れるハプニング!

13時スタートできるのか?と不安が頭をよぎりますが、到着してすぐにサイクルショップに駆け込みヘルメットを調達。
スタート地点に4人で並ぶことができました。

と長くなりそうなので、まずは走行前まで。
PBP参戦記もまだ書きかけなのに…。

気長にお付き合いくださいませ(笑

2011年9月22日木曜日

PBP参戦記 etape9

etape9 カルエクス~ルデアック(79.1km) トータル:782km



天気も徐々によくなり、帰路ということもあって、気分は上々でした。


往路では悪天候もあってなかなか写真が撮れなかったのですが、復路では余裕も出てきたおかげかちょっと立ち止まって一枚、なんてこともできました。

フランスでは街中でも綺麗な花の鉢植えを沢山飾っているお店や、花壇に花が咲き乱れている家をよく見かけました。






PBPで主に走るブルターニュという地方は、ケルトの文化を色濃く残しています。
今でも公用語のフランス語とは別にブルトン語という独自の言語を持っています。
写真の道路標識では上にフランス語での町名表記、下にブルトン語での町名が記載されています。








ケルト人とはカエサルのガリア戦記に出てくるガリア人と同じ民族です。
自分は、ガリア一帯に住んでいたケルト人がその後のゲルマン侵入にも耐えてこの地方に残ったのかと思っていましたが、どうやらブリテン島のケルト人がアングロ・サクソン人に圧迫されてブリテン島から海を渡ってブルターニュ半島に住み着いたようです。
(塩野七生「ローマ人の物語」による)

民族・風俗としては、パリを中心とするフランスよりも、ウェールズと同根なのだそうで。

まあ、そんな文化の違いが分かるほどフランス語に堪能でもないので、自分としてはこのブルターニュ地方の印象がイコールフランスのイメージになってしまったわけですが…。


天気も良くなってきたおかげか、道端の応援をよく見かけます。
自分も通り過ぎるときにはなるべく
「ぼんじゅーる」
と挨拶を返すようにしていました。
ちなみに、「Bonjour」の最後のrの発音はお馴染み?フランス語独特の例のrです。
”ぐ ”の口の形をしながら”う”と発音するといいらしいです。

しかし二日目ともなると、そろそろ「ぼんじゅーる」の発音練習にも飽きがきました。
ふと、別にフランス語じゃなくてもいいじゃないかと思いつき、せっかくフランスの人も日本人を応援しているのだから、エキゾチックな言語で返答された方が嬉しいに違いないと勝手に思い込んで
「こんにちは!」
と挨拶しながら走ることにしました。
 

と、脱線しまくりですが、この区間では途中、昨晩仮眠したサン=ニコラ=デュ=ペルムで昼食を取り、ルデアックに着いたのは既に19時を過ぎていました。

再びドロップバッグが使えるので、シャワーを浴びて着替えをし、またまたガレットを食べて、20時過ぎでしたが次を目指します。





当初予定のタンテニアックにはちょっと無理そうですが、ライトに問題を抱えていてなるべく明るい時間を有効に使いたいという気持ちもあり、途中にある補給&仮眠ポイントまでは行くことにしました。



この区間では、LEGONの新潟コミュの上ジャージとAJ千葉のビブを着て走ることにしました。

途中で上をAJ千葉ジャージに着替えゴールはAJ千葉ジャージの予定です。

ここまではそんなことを暢気に考えていられるほど余裕があったのでした…。








(つづく)

2011年9月21日水曜日

PBP参戦記 etape8

etape8 ブレスト~カルエクス(84.8km) トータル:703km





ブレストのコントロールを出ると、街中の複雑な道を走ります。

連続するロータリーや、どれを見ていいやら分からない信号、あげくの果てに街中は坂だらけ…。

そうこうしているうちに、道幅もあまり広くない登りで、後ろにバスがついてしまいました。

20km/h弱で登る後ろをバスもゆっくりついてきます。


バスの運ちゃんイライラしているだろうなぁ、なんて思いながら走っていると、目の前に×マークが。


国内のブルベではあり得ないのですが、PBPではルート上にコース指示の矢印看板がずっとあります。
写真は復路のパリ行きのもの。
往路のブレストは背景が黄色でした。

そして、ミスコースしやすそうなところには、×マークの看板が置いてあります。





あれ?コースは?と思ってきょろきょろしていると、後ろのバスがプップッ!とクラクションを鳴らしました。

あああ、ごめんなさいね、でも道が分からんのよ、と思ってバスの運ちゃんを振り返ると、バスの運ちゃんが左折方向を指差しています。
そちらを向くと、オレンジ色の看板が。
片手でありがとうと合図して、コースに復帰、事なきを得ました。

ブレストの街中はなかなかに複雑で、この後もGPSデータとコース指示の看板が食い違っていたりして、イギリス人らしき参加者と、看板があるからこっちだよね、とか言い合いながら何とか街中を抜けました。

街を出ると相変わらずの田園風景が広がります。
カルエクスまで戻るには、越えて来た山を登り返さないといけませんが、ブレスト側からの登りはさして苦労することもなくクリア。
事前の難易度計算ではこの区間が一番の難所かと思われましたが、逆にスピードも上がって、いいペースでカルエクスまで戻って来ることができました。

朝方にはしょぼついていた天気も曇天ながら何とか持ち直し、自転車で走るにはちょうど良い感じでした。


この日はできればタンテニアックくらいまで帰りたいところ、余り時間もかけずコントロールを出て、次のコントロールのルデアックを目指します。

(つづく)

2011年9月19日月曜日

PBP参戦記 etape7

etape7 カルエクス~ブレスト(92.9km) トータル:618km



お腹も満たして、さあリスタートと思ったらお腹に異変です。
異変と言っても単にトイレに行きたくなっただけですが(笑
岩本さんやinaさんには先に行ってもらうことにして、トイレに駆け込みました。

ちょっとシモな話になったので、ついでにあまり知られざるPBPの話をば。


写真のような感じで、道沿いはずっとちょっとした土手になっていて、その向こうに農地が広がっています。

たまにこの土手の切れ目があって、農地に入れるようになっているのですが、 そこに自転車が倒して置いてある場合があります。

その場合はつまり「使用中」ということのようです。




休むなら自転車も持って入って休めばいいのに…なんて思ってたのですが、トイレ中に入って来られては困るということだったようです。

約80kmくらい、3~4時間で次のPCに辿り着けるのだから、我慢できないものかね?とも思いましたが、これが結構頻繁に出くわす光景でした。
中には、腰にぶら下げるペットボトルホルダに、 トイレットペーパーを入れて走ってる人なんかもいました。
軽いカルチャーショックを受けたのは言うまでもありません。
自分はこの大自然のトイレは使用しませんでしたが(笑

話が横道に逸れました。

まだ暗いうちにPCを出ます。
この区間にはPBP最大の山が控えているので、マイペースを心がけて走ります。

登り始めた頃に夜が明けますが、霧が視界をさえぎります。
この頃になると、相当の台数の折り返した人たちが対向車線を走っています。

霧の向こう、ちょっと高い位置にライトの明かりが見え、霧から自転車の一団が姿を現してすれ違う…そんなことをずっと繰り返します。
それほどの斜度ではありませんが、ずっと上り坂。
暑くなってこの区間でウィンドブレーカーを脱ぎ、サドルバッグにしまいました。

霧と時折ぱらつく小雨がジャージをしっとりと濡らします。



長い登りをクリアすると、今度は豪快な下りが待っていました。

霧も少し薄くなります。









下り切ってからしばらく走っていると、ウワンさん発見。
ちょっとお話ししますが、スポークが折れたりして大変だったようです。
どちらもマイペースを維持したいため、それ以上はご一緒せず、自分が先行しました。



そして、小雨のパラつく中、ついに折り返しのブレストに到着。

ブレストは、港湾に面して要塞がある軍港都市です。


コントロールは海軍基地とのことでした。





コントロールへの登り口は城壁になっていて見ごたえがありましたが、写真を撮るのを失念してしまいました。残念…。

ブレストの要塞を整備したのは、ルイ16世。日本ではフランス革命を起こしてしまった国王としてしか名前が知られておらず、惰弱なイメージの人物です。
が、啓蒙的な思想の持ち主だったうえに技術に明るく、特にイギリスに押されっぱなしの海軍のてこ入れをするなど、君主としての力量もなかなかのものだったようです。


ブレストはPBPのコース上ではかなり大きな都市で、久しぶりに信号なども現れました(笑

折り返しだと思うと自然脚も回りはじめます。
同じくコントロールへ向かう集団を抜かすと、
「アタックかい?」
とか言われたりして、みな一様に気分が高揚していたようです。





というのも、ブルベでは600kmまでは制限時間が15km/hのアベレージで決められているのですが、600kmを越えると、後は12km/hに下がります。

600kmを越えると大幅に楽になるので、ここまで来れば、という思いは誰しも持っていたでしょう。


コントロールでの食事は相変わらずハムサンドイッチ。
自分でもよくも飽きないものです(笑










次の区間はここに来るまでにパスした長い登りを逆から登り返さないといけません。
この辺りでは気力も充実し、登りに対して不安も何もありませんでした。

(つづく)

2011年9月15日木曜日

PBP参戦記 etape6-2

etape6 ルデアック~カルエクス(76.1km) トータル:525km

気持ちよく寝ていたら、スタッフに体を揺らされて起床。
ほぼ一昼夜不眠で走ってきた体に睡眠時間がこれで足りるわけもなく、ぼ~っとしながら出発準備をします。


そういえば、体育館の屋根を叩く雨音が消えている…。
外に出てみると、地面は濡れているけれど雨は上がっていました。
仮眠のタイミングが凄くラッキーでした。

それにしても…寒い!






フランスは北海道と同じくらいの緯度。
大西洋の暖流のおかげで温暖な気候ではありますが、ブルターニュ半島の先っぽで夜中の3時ともなるとやはり寒かったです。

サドルバッグからウインドブレーカーを出して羽織り、岩本さんと一緒にスタート。
カルエクスまでは30kmちょい。
順調に走れば1時間半もあれば到着します。

朝食はカルエクスでと、すきっ腹は補給食で誤魔化します。

スタートしてすぐに岩本さんは路肩に停車。
トイレかな?

しばらく1人旅かな~、なんて思っていると暗がりから日本語が…。

どうやら前を行く2人組みは日本人のようです。
1人はパナチタン。
お、inaさんだ~。

声をかけて、ここからはinaさんと連れの方と3人で走ります。

ブルベの話しやら、inaさんが最近導入した太陽光発電の話しやら…とにかく道中しゃべりまくってました。
「やっぱり道連れがいると楽だな~」
とinaさんも仰ってましたが、自分も同感です。
スピードは落ちてしまいますが、距離はいつの間にか稼げてます。

ふと後ろを見ると、外人さんも2,3人後ろをついてきています。
全然理解できない言葉とはいえ、前で大声でしゃべったり笑ってたりすると、眠気対策になるのかな?

自分としてはとにかくこの眠そうな区間をおしゃべりで乗り切れたのは大きかったです。


道のりの順調にこなして、まだまだ暗いうちにPCのカルエクスに到着。

自転車を停めていると、すぐに岩本さんも到着。
4人で朝食にしました。

内容は昨日の夜とほとんど変わりませんが…。






お腹も満たして、次のPCはいよいよ折り返し地点のブレストです。


(つづく)

2011年9月14日水曜日

PBP参戦記 etape6-1

etape6 ルデアック~カルエクス(76.1km) トータル:525km
etape6は事情があって2部構成です。



前回、ルデアックでの食事を紹介するのを忘れていました。


ガレットです。
ブルターニュ地方の郷土料理で、クレープのもとになったものです。

クレープは日本でもおなじみですが、ガレットはそば粉のクレープと言えばイメージがつきやすいでしょうか?

ハムサンドイッチばかり食べてきましたが、ルデアックで売店に並ぶと、ガレットがあったのですかさずオーダーしてみました。



スパイスの効いたでっかいソーセージをそば粉のクレープで包んだだけの簡単なものですが、なかなか美味しかったです。
まあ、ファーストフードの類ではありますが。


走り始めると、腰から右の股関節に至る痛みがすぐに再発します。

この区間ではお尻の痛さも出てきて、時々、路肩に寄せてストレッチするなど、誤魔化しながら走行していました。







ルデアックで締めなおしたライトマウントはしばらくは大丈夫でしたが、また次第に緩み始め、ぐらぐらと揺れます。
ああ、これはダメだ、と思った矢先についにライトマウントの根元が破断してしまいました。

またまた路肩に止まってどうにかライトを上手くマウントできないものかと思案した結果…


行き着いたのがこれ。
PCでしか使っていないスマートフォンを外し、その台座にタイラップで止めたうえに、輪ゴムで固定しました。

とりあえず、これで路面を照らせるようにはなりましたが、照射角が出ず、下向きになってしまっています。

仕方ないので、予備のL2Dを使って補完し、なんとか夜間走行に耐えることができました。


帰国してから試行錯誤し、ライトマウントについても大丈夫だろう、という方法を見つけましたが、やはり本番前の装備変更はリスキーですね。

何とかライト問題を解決し、ほっとひと息ついて走行を再開すると、今度は睡魔が襲ってきました。

ここまで450km以上、寝ずに走って来ているのですから、無理もありません。
お尻と股関節の痛みもあり、ひと息つく誘惑に勝てず、路肩に止まって今度は居眠り。
寝過ごさないように、他の参加者が通るたびに風きり音が聞こえる程度しか離れていない場所に腰かけ、うたた寝します。

ここでどれくらい休んだかは分かりませんが、記録から見るとたった44kmに4時間以上かかっています。
へろへろな状態で、サン=ニコラ=デュ=ペルムに到着。
次のPCはまだ先ですが、補給および仮眠ポイントです。

ここでも可愛い女の子が飛んできて、ここはコントロールではないこと、ブレスト方面への通過ならあっちへ行け、と英語で説明してくれました。
時刻はすでに22時前。
ここで仮眠したいと伝えると、案内の女の子が体育館を指して、ここで仮眠でき、隣のテントがレストランだと教えてくれました。
感謝して、自転車を止めレストランに向かおうとすると、駐輪所にAJ福岡代表の岩本さんが入って来ました。
岩本さんもここで仮眠するらしいので、食事もご一緒させていただきました。



PBPの公設レストランで饗される食事はフジッリ(パスタ)か長粒種のライスに、鳥か魚をスープで和えたものをかけたものです。

あるものを適当に取って、精算所で計算してお支払いという学食や社食みたいな形式です。

岩本さんは4年前、胃を壊して1000kmを越えたあとにリタイアという経験をお持ちです。




前回、米が消化できなくて、なんて話しをしながらだったので、自分ももちろんパスタを選択しました。
パスタは作り置きでしたが、魚のソースがあたりでした。
なかなか美味しかった。

テントで食事をしていると、雨粒が屋根を叩く音が聞こえてきました。
外を見るとかなり激しい雨が降っています。

腹を満たしたら体育館に移動して寝床の確保ですが、これが30分くらい待たされてしまいました。
雨が降り始めたことと、結構いい時間だったので、みんな仮眠所に殺到したようで、スタッフが捌ききれなくなってしまったようです。

フレームナンバーと何時に起きたいかを申告し、支払いを済ますと、スタッフが簡易ベッドに案内してくれます。
旅は道連れということで、岩本さんと同じ3時起床を申告しました。
22:30過ぎに体育館に入れたので、4時間以上の仮眠です。
ブルベで4時間も寝れれば上等です。

ここの体育館は仮眠専用になっていて、快適でした。
一応用意してきたアイマスクと耳栓をしましたが、そんなものは必要なかったと思います。


体育館の屋根を激しく叩く雨音を子守唄に、すぐに眠りに落ちたのでした。


(つづく)

PBP参戦記 etape5

etape5 タンテニアック~ルデアック(85.2km) トータル:449km



タンテニアックを出たのは昼過ぎでした。



景色は相変わらずフランスの片田舎です。
小雨に霞む丘陵に教会の尖塔が見えて来たら、たぶんそこは次の町。

時折、少し強くなる雨も気にせず、淡々と先を急ぎます。









道端には、ときおりPBP応援の横断幕があったりします。











ある町にたどりつくと、そこはシークレットポイントになっていました。
390km地点、ケディアック。
シークレットポイントに入ると、初老のスタッフが話しかけてきます。
「○▲■※…」
あああ、いい耳が欲しい。
おじさんも通じないことが分かったのでしょう。
「アングレ?」
「うぃ」
と答えると、若い女の子が飛んできて、英語で説明を始めます。
ここはシークレットポイントで云々、チェックはこっちで、レストランはこっち、寝たければ仮眠所もある等々…。


案内にお礼を言って、チェックを済ませて、ここでもハムサンドイッチ。
ブルベに食事を期待しているわけではないので、一向に飽きません。

日本でのブルベではコンビニで濃い弁当を食べて胃もたれを起こすことがありますが、ハムサンドイッチではそんな危険もありません。





コンビニでもサンドイッチジャンボン置いてくれないかな。
売れないか(笑


綺麗な教会にも応援の横断幕が。
400km地点ではスタートから19:30くらい。

少しペースが落ちてきました。

と言うのも、多少腰に痛みがあり、それが右脚に影響して、腰から股関節、右の太ももあたりに痛みが出てきてしまったためです。





今年になって、おととしの1000kmから使っていたサドルを別のものに代えたのですが、これがいまいちフィットしないのか、去年よりサドルポジションを高くしたのがいけないのか…。
綺麗な教会の写真を撮っているのも、ただ綺麗だから撮ったわけではなく、止まって少しストレッチしたついでなのでした。


ついでに、シークレットのケディアックを出てから、ライトの振動がいよいよ目立ってきました。
目で見ても明らかに路面の振動でフラフラと揺れています。

携帯ツールを出せばマウンタを締め付けているネジを締めなおせるのですが、ルデアックまで行けば、アーレンキーセットがドロップバックに入っていたはず、とPC到着を優先します。

ルデアックには、17:30頃到着しました。


 大きなPCですが、コントロールの出口の扉に、
「日本のドロップバッグは、駐輪スペースの右側」
と張り紙がしてありました。

おかげさまで、迷わずドロップバッグをGET。

まずはバッグを持って自転車が置いてある場所に戻ります。

アーレンキーを探しますが…ない。



仕方なしに、結局サドルバッグから携帯ツールを出して、ライトマウンタ基部のネジを締めなおします。
試しに自転車を揺らしてみますが、その時点では大丈夫そうでした。

とか、やっていると、大粒の雨が…ついに本格的に降り始めました。
どちらにしろここでシャワーを浴びて着替えるつもりだったので、焦らずシャワーへ。
2ユーロ(だったかな?)を払うと、小さい石鹸と紙タオルを渡され、大部屋にいくつもシャワーが並んでいる軍隊式のシャワールームでシャワーを浴びます。

ホテルなみのシャワーなど期待してない自分にとってはこれで充分。
さっぱりしてドロップバッグに入れていたESTジャージに着替え、外に出てみると、雨が止んでいました。

まだまだ明るいので、次のPCを目指すことにします。

(つづく)

2011年9月10日土曜日

PBP参戦記 etape4

etape4 フージェール~タンテニアック(53.8km) トータル:364km



PBPではだいたい、80~90kmごとにコントロールが設置されているのですが、この区間は例外的に短い区間です。


フージェールは歴史の街らしいです。
中世の要塞が残る街で、町並みも中世の趣が残っています。

日も昇り、眠気もおさまって、快調に走りますが、どんよりした雲から時折雨がぱらつき始めました。

空の色は明るいので、通り雨だろうと、雨ガッパを出さずにそのまま突き進みますが、他の参加者はこまめにレインウェアを着たり脱いだり…。



結局濡れそぼるほどの雨にはならず、時折パラパラっと来るだけでした。
それでも、どうやら自分が通り過ぎた後にはかなり本降りになったらしく、寝ないで走ることを選択したおかげで幸運にも雨に降られずに済みました。

自分の雨装備はと言えば、レインウェアの上一着だけ。
気温が低く、止まっていると寒いくらいでしたので、本降りに遭うと危なかったかも知れません。


景色はいかにもフランス。
町の中心には教会があり、古い煉瓦造りの民家が軒を連ねています。

町は必ず丘の上に作られており、町を通りぬけるには必ずちょっとしたヒルクライムをさせられます。







町を過ぎると、そこには広大な農地が広がります。

丘の頂上には必ずと言っていいほど、地元の人たちが応援に来ていて、頂上に近づくと、拍手と、"Allez!Allez!"とツールでおなじみの掛け声をかけてくれます。
 
自分も調子に乗って、観衆の前をダンシングで走ったりしていました。




声援はだいたい、数種類で、
"Allez!Allez!"(行け!行け!)
"Bon Voyage!"(良い旅を!)
"Bon Chance!"(幸運を!)
"Bon Courage! "(気合だ!)
あたりでした。
自分としては、Bon Courage!がお気に入りで、「気合だ!」と訳しましたが、一般的には「幸運を!」という決まり文句らしいです。

でも、Courageは勇気という意味なので、ニュアンス的には「あなたが勇気を持てますように!」という感じでしょうか。
フランスの田舎のやんちゃそうな男の子に、"Bon Courage!"なんて言われると、距離にびびってんじゃねえよ、と言われているみたいで、自然にスピードが上がります。

こちらも、調子に乗って、声をかけられるたびに
「ぼんじゅーる!」
なんて挨拶をすると、向こうは
"Au Revoir!"(さよなら!)
と返してくれました。

ブルベでこんな声援を浴びたのはもちろん初めて。
気分よく走行して、ほどなくPC3のタンテニアックに到着しました。


タンテニアック到着はちょうど昼頃でしたが、そんなに空腹でもなかったので、
定番のハムサンドイッチ(sandwich jambon)を食べ、次の区間に向かいます。

細かく書いてはいませんが、たいていのコントロールで、例の補給食を買って補充していたおかげで、コントロールでの食事の手間はずいぶん省けました。




次のコントロールはいよいよ、ルデアック。
ドロップバッグを受け取ることができるので、シャワーを浴びれます。
別に他のコントロールと大して違うわけではないですが、何となくテンションも上がってきました。

(つづく)

2011年9月9日金曜日

PBP参戦記 etape3

etape3 ヴィレンヌ・ラ・ジュエル~フージェール(88.9km) トータル:310km



前回、200km時点の記録が8:41と書きましたが、よくよく見てみると出走サインをしたときにスタートボタンを押したらしく、スタートまで32分を費やしていました。

なので、200kmのタイムは8:09、大きなストップが1回だけとは言え、かなりのペースです。

いいペースで走っているおかげ?でこの区間も夜間走行でした。
段々と集団もばらけ、前後に人影が絶えることはありませんが、もう大きな集団は形成されません。

2,3人の気の合う仲間と走っている集団も夜明け前の疲れの溜まる時間帯だからか黙々と走っていました。


次のPC、フージェールの手前で夜が明けます。
昨日の暑さとは打って変わって、どんよりとした曇り空。

気温もそんなに高くなく、景色を楽しむにはあまり天気が良くないですが、自転車で走るには快適です。

夜明け前に、少しフロントライトの振動が気になり始めました。



真っ暗な間は、特に気にならなかったのに、下りの荒れた路面でライトが揺れるなぁ、なんてぼんやり思っていました。
写真を見ても分かるとおり、自分のライトは路面を四角く照射してくれます。
が、この四角が小刻みに揺れるのです。

この時にはこれが後で起こるトラブルの予兆だとは思いもしませんでした。


コントロールのフージェールまであとひと息というところで、道端の民家で
「カフェ?」
と声をかけられます。

フージェールまであと少しだったので、停まる気はなかったのですが、明け方で多少眠気もあり、コーヒーの魅力に抗えずにストップ。

自転車に跨ったまま、コーヒーをいただきます。
徹夜明けのコーヒーの美味しいこと…。


ほっとひと息ついていると、おかみさんが紙皿に載せたケーキをすすめてくれました。

ええ、陥落です(笑

自転車から降り、椅子に座ってお手製のパウンドケーキをいただきながら、コーヒーをすすります。
ああ、幸せじゃ。




おかみさんが、アルバムらしきものを持ってきて、見てね、と勧めます。
アルバムの表紙には1948~と書いてありました。

アルバムをぱらぱらめくって見ていると、今度は住所を書いた紙を渡されます。
「○△■※」
何を言っているやらさっぱり…。

アルバムには、いろんな絵葉書やら写真が貼り付けてあります。
ああ、なるほど、絵葉書くらい送って寄こせということか。
と、合点。(まだ書いてないや…)

立ち寄ったライダーの寄せ書きノートもあったので、汚い日本語でお礼を書いて、再スタートしました。


ほどなくフージェールに到着。
人は沢山いますが、さっきまでのように食堂が大渋滞しているわけでもありません。












が、さっきケーキを食べたので、ここではがっつり食べず、ハムサンドイッチを買って体育館に設営された食堂で食べました。

このハムサンドイッチ、どこのコントロールでも売っていて、ひとつ2ユーロちょっと。
(250円くらいかな)





たいがいの人はフージェールではもう食べ飽きた食事のようでしたが、自分としては久々に食べたまともな?食事でした。
ハムサンドイッチ、美味しかったけどなぁ…。
ほとんどの参加者にはええ!?と言われると思いますが、自分の口には合いました。

ここでAJジャージから、LEGONで仲良くしてくれている、関西のコミュニティジャージに着替え、フージェールを出たのでした。



(つづく)

2011年9月6日火曜日

PBP参戦記 etape2

etape1 モルターニュ・オー・ペルシュ~ヴィレンヌ・ラ・ジュエル(81.1km) トータル:221km



PBPにはこれまで使ってきたブルベ用の機材に一部変更を加えました。
これまでは、ライト・充電器はすべて単三電池でまかなっていたのですが、
去年、一昨年と2回1000kmを経験して、600km以上のディスタンスでは、使い切った乾電池の処理が課題になっていました。

PBPでは単三電池が簡単に手に入らないかも、という懸念もあり、直前にハブダイナモホイールを導入。
ハブダイナモから給電するLEDライトをメインに、これまでメインで活躍してきたFenix L2Dをサブにしました。

Edge705や最近ブルベで使っているAndroidスマートフォンへの給電は、ハブダイナモからの線を分岐させてReeChargeという製品から行いました。


たまたまライト周りが写っている写真ですが…。
真ん中の黒い台座はスマートフォンのマウンタです。
下というか、左側がハブダイナモ用のライトです。
NITTOのランプホルダ2にスマートフォンのマウンタをつけているのですが、そのランプホルダのネジ止め部分にハブダイナモライトのマウンタをかませて一緒に締めて使用しています。





ブルベで使用するのはPBPが初めて。
事前に房総で200kmほど試しただけだったので、今回一番不安のある装備でした。

いきなり本格的なナイトライドになってしまいましたが、ライトは問題なし。
しかし、ライトをつけながらのスマートフォンへの給電が電力不足のため思ったようにいかない問題が発生しました。
リアルタイムに位置を通知するGoogleLatitudeサービスで知り合いに位置を発信しながら走行しようと思っていたのですが、スマートフォンへの給電は早々に諦めました。

言うまでもなく、ライト>Edge705>スマートフォンです。

モルターニュ・オー・ペルシュを出てナイトライドの間、特に機材に不調は見えず、快適に走行します。
休憩所を出た直後こそ下りで寒かったですが、走っていれば平地がなく、丘陵地帯ばかりのコースのこと、体はすぐに温まりました。
記録を見ると200kmのタイムは8:41、なかなかのスピードだったようです。
信号がないこと、集団が多く風の影響が少ないことがスピードの要因でしょう。

街灯さえない暗い森林や丘陵地帯を抜けると、時折丘の上にほの明るい集落が現れ、通過します。
さすがに深夜の時間帯には街にも人影もなく、ランドナーだけが大群で町々を通過していきます。

ヴィレンヌ・ラ・ジュエルの街に入ると、早朝というのに開いているカフェもありました。
カフェに立ち寄っているランドナーもいました。
ちょっと走ると、今度は商店が開いています。

これ幸いと立ち寄り、サンドイッチ、水、コーラを買って、PC前に補給を済ませました。
予想通り、PCは混雑していましたが、スタンプだけ貰ってさっさとリスタート。
ここまで走ってようやくPC1、でもだいぶ混雑から抜け出て始めているようで、次のPCでは食事くらいできるかな?と甘い期待を抱きつつ、まだまだ暗い夜道へと漕ぎ出しました。

(つづく)

2011年9月4日日曜日

PBP参戦記 etape1

etape1 サンカンタン・イブリン~モルターニュ・オー・ペルシュ(140.8km)



フランスの日の出、日の入り時間は東京と約2時間半程度ずれています。
東京ではこの時期だいたい18時過ぎくらいに日没で、19時くらいには暗くなる感じですが、フランスでは20時半過ぎに日没、21時半くらいまではライトなしでも走れます。

我々のスタートは19:40でしたが、まだまだ明るい中を走ります。


沿道の歓声、拍手を受けながらスタートするとしばらくは、街中を走行です。
日本のブルベなんかとは違って交通規制され、交通規制解除後も交差点ではスタッフが車を止めて自転車を優先させます。

そんなブルベライダーに、車の人たちも沿道の人たちも喝采を浴びせ、祝福してくれます。





スタートからしばらくは大集団での走行です。
周囲とスピードが合わないと危険なので、スピードを制御します。
80時間ではこの集団が凄いスピードなのでしょうが、自分は90時間、そんなに速いわけでもなく、落車や落下物があるわけでもありません。

この辺りは、日本のブルベのスタート直後がちょっと規模が大きくなった程度のものでした。

ほんの10kmほど走ると市街地を抜け、周囲に広大な農地が広がります。
フランスは国土の半分以上が農地で、「ヨーロッパのパン籠」と呼ばれる国です。
農地は大きな丘を埋め尽くし、見渡す限り広がっています。

所々に並木などがあるものの、夕日が容赦なく照りつけ、暑さは日が沈んでもしばらく続きました。
市街地を抜けてしまうと、道沿いにはスーパーマーケットはおろか、自販機も見当たりません。

ボトルの水は早々に残量がわずかになってしまいました。
日が傾き始めた頃に最初の集落に到着します。
集落の中の1軒で、ペットボトルを持った人がランドナーたちに水を補給しています。
「欲しい!」
と思いましたが、周囲を確認すると安全に停まれそうになかったのでここはスルー。

ついに水が底をついてしまいます。

日も暮れて集落へ登り始めた40km地点くらいで、また道路わきの民家で水を配っていました。
後ろを確認すると、ちょうど後ろのライダーも後方に停車のハンドサインを出して路肩に寄ろうとしています。
これ幸いと自分も停車し、ボトル2本を水で満たしてもらいます。
「めるしー、ぼくー!」
と大声で挨拶して、リスタート。
水の心配がなくなったので、肩の荷も下りた気がします。
ポケットにはひと口羊羹が2本とエナジーゼリーが1つ入っています。
140km走るには充分な補給です。

リスタート後、ひと口羊羹を食べ、水で喉の渇きを潤しました。

この後も、だいたい40kmごとに補給食を消化し、モルターニュ・オー・ペルシュに着く頃には補給食は全て食べつくし、ボトルはまた空に近くなっていました。





モルターニュ・オー・ペルシュに着く頃には、だいぶ集団もばらけましたが、施設の中に入ると、人、人、人…。

レストランを覗きますが、長蛇の列のため、早々に諦めます。

水は外に水道があって
「↓eau」(だったかな?)
という張り紙がしてあったので、そこで汲みました。


ただ、横で同じように水を汲んでいたイタリア人が、この水飲めるの?さあ?みたいなやり取りをしていたので、確かに、飲めるとしてもお腹に合うか分からないから、止した方がいいな、と、この時気がつきました。

この後、水は全てコントロールや休憩所の施設で売っているエビアンを買うようにしました。

モルターニュ・オー・ペルシュはコントロールではなく、単なる休憩所。補給さえ終われば用がないのですが、補給食を食べつくしてしまっています。
何もないのでは心もとないので、何かないか探していると、


OVERSTIMSという補給食を売っているのを発見、1ユーロ60セントで、3つほど買って次の区間へ乗り出しました。

このOVERSTIMS、なかなか美味しくてどこのコントロールや休憩所でも売っていたので、PBPの間のお供となりました。

ただし、価格は1.6ユーロ~3ユーロとかなり幅がありました。


この最初の休憩地点の混雑が、この後の走りを大きく変えることになりました。
当初はPC1のヴィレンヌ・ラ・ジュエルで多少仮眠をする気でいたのですが、とにかく序盤は休憩も短めで走って混雑を抜けてしまう作戦に変更しました。
そのため、結局1日目は徹夜で走行し、2日目の夜まで走り続けることになりました。

PBPに出ているんだという緊張感もあって、あまり眠気も感じないまま、本格的な夜間走行区間に乗り出したのです。

(次回に続く…)

2011年9月3日土曜日

PBP参戦記 受付~スタート前


ベルサイユ観光から明けて、8/20。
スタートは翌8/21ですが、前日に受付と車検があります。










受付&車検会場はスタート地点にもなっている、ギヤンクール人権体育館です。
フランスに着いた当日からですが、サンカンタン・イブリンでは町をあげてのPBP歓迎ムードです。


バス停にもでかでかとPBPのポスターが貼ってあります。
他のバス停のポスターはマックの宣伝だったり、ディズニーランドの宣伝だったりもあり、扱いはディズニーのhogehogeパレードなみです。
いやがうえにもテンションが上がります。








スタート地点近くになると、もっと大きなポスターや…












車道に柵まであったりして、ブルベじゃなくて海外のレースイベントにでも参加するような気分になってきます。










ギヤンクール人権体育館に着くと、野外に受付ゲートが用意されており、まずは参加証を見せろと言われます。
ここで怠惰な自分は、紙のプリントアウトではなく、Android携帯で表示した参加証ページを提示しました。
Android携帯を見せようとした瞬間に、受付しているスタッフに、
「なんだ?お前の携帯電話番号でも教えてくれるのか?」
と英語で言われました。
いきなりおフランスなエスプリを食らってしまった…。
それでもフレームナンバーが証明できたので、自転車の車体にフレームナンバーを書いたシールを貼ってもらい、第1段階は突破しました。

次は車検です。こちらも体育館の外周部の野外に設けられたゲートで行います。
ライトはフロント、リアとも実際に点灯をチェックされました。
しかし、オプションのはずのフロントライトの予備は点灯チェック、必須のはずのリアライトの予備はチェックすらされませんでした。この辺りはスタッフにも混乱があったようです。

さて、車検もパス、と思ったら車検パスのハンコを押すから、参加証を出せと言われます。
「プリントアウトがなくて、携帯で入って来たんだけど」
と言うと、第1関門まで連れて行かれ、何やらスタッフと相談です。
自分は車検してくれた人にくっついてウロウロしているだけですが。


やがて話しがついたのか、車検する場所に戻り、車検パスのハンコは腕に押すけどいいか?と聞かれました。
いいかと言われてもこちらは他に選択肢もないので、了承して、腕にハンコを押してもらいます。









プリントアウトがないだけで、こんな苦労するとは思わなかったわ~。

車検をパスしたら、いよいよ本チャンの受付です。
体育館の中に入り、番号のレンジで分けられた受付に並び…。と思ったら、別の番号帯の場所からも並んでるのはこっちにおいで、と声がかかります。









受付では、参加証と身分証の提示を求められます。
たまたまパスポートを持っていたのであっさりパスしましたが、パスポートをホテルに置いて来た人はかなり苦労したようです。
※クレジットカードで身分証明しようとすると、大会委員長の裁断を仰がねばならないようでした。

参加証については、ここでも
「こりゃ、我々にはちょっとハイテクすぎるよ」
とエスプリパンチの2発目を食らってしまいました。


受付でブルベカード、ゼッケン(!)、IDタグ(!!)、ジャージなどの引換券を貰い、外のテントでジャージや反射ベスト、がんばれ日本バンダナに引き換えして、受付終了です。









この後、自分と、同宿のひで氏はDNF時の保険および、ゴール後の宿として借りたパリのアパルトマンにチェックインしますが、ここいら辺は割愛します。

会場の広場では、前夜祭が行われ、バンドの生演奏などいろいろあったようですが、我々は〆の花火の前に退散してしまいました。
次回があるなら、前夜祭ももっとしっかり楽しみたいものです。

一夜明けて8/21はついにスタートの日です。
夜中過ぎは、雷を伴った嵐でしたが、この日は快晴でした。

食事を取りにサンカンタン・イブリンの駅前まで移動して、オープンカフェスタイルのレストランで食事をしていると、三船さん一行が通りかかりました。

一緒に食事しながら、PBPやブルベの四方山話に花を咲かせます。











三船さんや、仲間の1人は80時間コースで16時スタートなので、昼食後すぐにギヤンクール体育館に移動しました。


我々もついて行って16時スタートのお見送りをします。
イノー氏の演説が長くなったため、第1ウェーブは、16:10くらいのスタートでした。

お見送りした後は、ハムサンドイッチで小腹を満たし、16時半頃列に並びます。







ここからが長かった。




炎天下の中、グラウンドで待たされます。
18時からスタートし始めますが、自分たちが並んだのはかなり後方でした。

みんな頑張って前方を確保するのね…。







待っている間に、あまりの暑さにボトルの水を飲んでしまいますが、スタッフが汲んでまわっているぐらいでは雀の涙、水が手に入りません。
次回参加される方がいらっしゃるならば、ボトルとは別にペットボトルで水を持っていた方がいいでしょう。
並んでいる途中にゴミ箱があったので、ペットボトルの処分には困らなそうでした。


待ちに待って、19:40ようやくスタートを切ることができました。











さて、ここからは次回に「続き」です。