2011年9月4日日曜日

PBP参戦記 etape1

etape1 サンカンタン・イブリン~モルターニュ・オー・ペルシュ(140.8km)



フランスの日の出、日の入り時間は東京と約2時間半程度ずれています。
東京ではこの時期だいたい18時過ぎくらいに日没で、19時くらいには暗くなる感じですが、フランスでは20時半過ぎに日没、21時半くらいまではライトなしでも走れます。

我々のスタートは19:40でしたが、まだまだ明るい中を走ります。


沿道の歓声、拍手を受けながらスタートするとしばらくは、街中を走行です。
日本のブルベなんかとは違って交通規制され、交通規制解除後も交差点ではスタッフが車を止めて自転車を優先させます。

そんなブルベライダーに、車の人たちも沿道の人たちも喝采を浴びせ、祝福してくれます。





スタートからしばらくは大集団での走行です。
周囲とスピードが合わないと危険なので、スピードを制御します。
80時間ではこの集団が凄いスピードなのでしょうが、自分は90時間、そんなに速いわけでもなく、落車や落下物があるわけでもありません。

この辺りは、日本のブルベのスタート直後がちょっと規模が大きくなった程度のものでした。

ほんの10kmほど走ると市街地を抜け、周囲に広大な農地が広がります。
フランスは国土の半分以上が農地で、「ヨーロッパのパン籠」と呼ばれる国です。
農地は大きな丘を埋め尽くし、見渡す限り広がっています。

所々に並木などがあるものの、夕日が容赦なく照りつけ、暑さは日が沈んでもしばらく続きました。
市街地を抜けてしまうと、道沿いにはスーパーマーケットはおろか、自販機も見当たりません。

ボトルの水は早々に残量がわずかになってしまいました。
日が傾き始めた頃に最初の集落に到着します。
集落の中の1軒で、ペットボトルを持った人がランドナーたちに水を補給しています。
「欲しい!」
と思いましたが、周囲を確認すると安全に停まれそうになかったのでここはスルー。

ついに水が底をついてしまいます。

日も暮れて集落へ登り始めた40km地点くらいで、また道路わきの民家で水を配っていました。
後ろを確認すると、ちょうど後ろのライダーも後方に停車のハンドサインを出して路肩に寄ろうとしています。
これ幸いと自分も停車し、ボトル2本を水で満たしてもらいます。
「めるしー、ぼくー!」
と大声で挨拶して、リスタート。
水の心配がなくなったので、肩の荷も下りた気がします。
ポケットにはひと口羊羹が2本とエナジーゼリーが1つ入っています。
140km走るには充分な補給です。

リスタート後、ひと口羊羹を食べ、水で喉の渇きを潤しました。

この後も、だいたい40kmごとに補給食を消化し、モルターニュ・オー・ペルシュに着く頃には補給食は全て食べつくし、ボトルはまた空に近くなっていました。





モルターニュ・オー・ペルシュに着く頃には、だいぶ集団もばらけましたが、施設の中に入ると、人、人、人…。

レストランを覗きますが、長蛇の列のため、早々に諦めます。

水は外に水道があって
「↓eau」(だったかな?)
という張り紙がしてあったので、そこで汲みました。


ただ、横で同じように水を汲んでいたイタリア人が、この水飲めるの?さあ?みたいなやり取りをしていたので、確かに、飲めるとしてもお腹に合うか分からないから、止した方がいいな、と、この時気がつきました。

この後、水は全てコントロールや休憩所の施設で売っているエビアンを買うようにしました。

モルターニュ・オー・ペルシュはコントロールではなく、単なる休憩所。補給さえ終われば用がないのですが、補給食を食べつくしてしまっています。
何もないのでは心もとないので、何かないか探していると、


OVERSTIMSという補給食を売っているのを発見、1ユーロ60セントで、3つほど買って次の区間へ乗り出しました。

このOVERSTIMS、なかなか美味しくてどこのコントロールや休憩所でも売っていたので、PBPの間のお供となりました。

ただし、価格は1.6ユーロ~3ユーロとかなり幅がありました。


この最初の休憩地点の混雑が、この後の走りを大きく変えることになりました。
当初はPC1のヴィレンヌ・ラ・ジュエルで多少仮眠をする気でいたのですが、とにかく序盤は休憩も短めで走って混雑を抜けてしまう作戦に変更しました。
そのため、結局1日目は徹夜で走行し、2日目の夜まで走り続けることになりました。

PBPに出ているんだという緊張感もあって、あまり眠気も感じないまま、本格的な夜間走行区間に乗り出したのです。

(次回に続く…)

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